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大中華世界的話題(その3)

1220名無しさん:2021/02/11(木) 15:11:56
https://news.yahoo.co.jp/articles/e19277976716f651d49e622063d1cc50600ffd19
【解説】ミャンマーで無血クーデターが起きた本当の理由
2/8(月) 11:42配信
FNNプライムオンライン
無血クーデター勃発
2月1日、ミャンマーの首都であるネピドーでは、午前10時から、ミャンマーの国会にあたる連邦議会がはじまる予定だった。2020年の11月8日の総選挙で当選した議員たちがはじめて招集され、新大統領を選出する作業がはじまる日である。

ところが、この日の未明、この国の最高指導者であるアウン・サン・スー・チー国家顧問と、ウィンミン大統領、その他、複数の閣僚や地方首長、政党指導者、政治活動家が国軍の部隊によって拘束された。その後、憲法417条にもとづく非常事態宣言が発令され、国軍最高司令官であるミン・アウン・フライン将軍が、すべての国家権限を握ることになった。

軽微な罪で大統領を逮捕し、副大統領を大統領代行に就任させて非常事態宣言を発令するという、かなり無理筋の政権掌握だったといえる。周到に準備された未明の急襲は、全国に及び、国軍は負傷者をいっさい出すことなくNLD幹部たちの拘束に成功した。

理由は選挙不正。クーデターの理由としては軽く感じてしまう。

確かに、ミャンマーの有権者名簿に多くの不備がある。同じ有権者の名前が複数の選挙区にあることはざらだ。だが、有権者は投票後に指に数日落ちないインクをつけることが義務付けられている。二重投票を防ぐためである。でっち上げとはいわないまでも、有権者名簿の不備を理由に非常事態宣言を発令するのは無理筋だろう。

だとすると、今回のクーデターはなぜ起きたのか。本当の理由を探ってみたい。

スーチー政権と国軍の対立
まず、最初の理由は国軍とスーチー政権との間での対立だ。特に国軍は、スーチーに対してずっと不満をためてきた。

記憶にある読者もいるかもしれないが、2016年3月にスーチー政権が発足したとき、世界から大変注目を浴びた。約50年間にわたって軍事政権が続いたこの国で、1960年以来、55年ぶりの文民政権の誕生だった。しかも、そのトップが、長く軍事政権と戦い続けてきたアウン・サン・スー・チーだから、否が応でも期待は高まる。

ところが、ことはそう簡単には進まなかった。民主化運動を続けてきたNLDに政権運営の経験者は乏しく、高い志と国民からの支持はあっても、政権運営能力が伴っていない。公約の柱だった和平交渉は停滞して、経済政策でも新味は出せないまま、憲法改正についてはまったく進展しなかった。

ただ、政権運営がうまくいかないことは別に珍しいことではない。むしろ普通かもしれない。うまくいかなければ有権者が別の人を選べばよい。それが民主主義である。だが、ミャンマーの場合、そうした民主主義のサイクルを認めない人たちがいる。国軍である。国軍の政治への関与とその独立性は憲法で認められていて、黙って大統領に従う軍事の専門家ではまったくない。

政治に関与する国軍最高司令官としては、スー・チー氏のリーダーシップの弱さに不満を貯めていた。国内の20以上ある武装勢力との和平が進まずに戦闘が激化する。最高司令官として受忍できないようなところまで状況は悪化していた。

さらに追い打ちをかけたのが新型コロナウイルス対策だ。政府の対策は後手にまわり、感染者数はインドネシア、フィリピンに続いて東南アジアで3番目に多い。国軍はこいつらではだめだ、そう思ったのかもしれない。


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