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大中華世界的話題(その3)

1213チバQ:2021/02/10(水) 09:07:40
https://news.yahoo.co.jp/articles/05ff8a0e15bb326c312a51cba0ba9628d67fd219
スーチー氏拘束を率いた司令官の切迫した事情、クーデターの支えに一体何が存在しているのか
2/10(水) 8:01配信

 ミャンマーで起きたクーデターは、この国のウォッチャーを「まさか」と絶句させる出来事だった。なぜ、あのミン・アウン・フライン国軍最高司令官が……。そんな反応である。

 彼は民主化プロセスに前向きで、穏健派と目されていたからだ。「総選挙での不正」が、クーデター正当化の理由となりえるのか。民主政権を転覆させるという暴力的手段が、これまでの改革を後退させ、国民の猛反発を招いて、取り戻しかけた国軍の権威を失墜させかねないとは考えなかったのだろうか。
■クーデターの大義とは対極にありそうな私的事情

 ともかく、ミン・アウン・フラインはルビコン川を渡ると心を決め、実行に移した。ここでは「クーデターの大義」とは対極にありそうな彼の「個人的な理由(都合)」に絞り、その心中を推し量ってみた。

 私は2015年6月にミン・アウン・フラインにインタビューをした際、生年月日を聞いた。「1956年」としか公表されていなかったからだ。返ってきたのは「59歳です。60歳に向かっているところです」との曖昧な言葉だった。この国では、政権幹部や高級軍人の誕生日は国家の「最高機密」である。占星術や呪術が盛んなお国柄で、「黒魔術で呪詛される」と本気で信じているからだ。
ミャンマーの政治と占星術、呪術の深いつながりについては拙著『黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏』で紹介しているので、ここでは詳細を省くが、ミン・アウン・フラインは当時、翌年に定年を迎えて退役するはずだった。

 しかし、インタビューから半年後に実施された2015年総選挙でアウン・サン・スー・チー率いる当時の最大野党「国民民主連盟」(NLD)が大勝。NLD政権の誕生が確実となり、ミン・アウン・フラインは定年を延長して最高司令官の地位にとどまる。政権交代で軍出身のテイン・セイン大統領が退くことになり、スー・チー新政権の「目付」を自らが担うという判断もあったと思う。

 今回のクーデターの個人的理由として、ミン・アウン・フラインの「大統領への野心」が指摘される。可能性はあった。スー・チー政権の行政、政治能力、つまり政権運営能力は客観的に見てもレベルは低い。「自分がタクトを振るえば……」という自負心があったとしても不思議ではない。

 同時に、今度は避けて通れそうにない「65歳の定年」を前に、どうしても「最高権力者でなければまずい」と考えたであろう事情を斟酌したい。

 今回SNS上では、2020年総選挙に際して、ミン・アウン・フラインがあるシナリオを描いていたとのうわさが飛び交った。軍系政党が一定議席を獲得して自らが大統領になる「プランA」。大敗した場合はクーデターを敢行するという「プランB」。やむなく「プランB」を実行に移した、というものだ。
 プランの真偽は別にして、選挙結果次第で大統領になるチャンスはあった。大統領選出の仕組みはこうだ。選挙を受けて国会の上院と下院の民選議員からそれぞれ1人、両院の4分の1を占める最高司令官指名の軍人議員団から1人の計3人を副大統領に選ぶ。この中から全員投票で大統領を選ぶのだ。

 つまり、ミン・アウン・フラインはまず軍人議員団の推挙で副大統領となる。軍系政党とその友党が改選議席の4分の1を獲得していれば、国会議席の過半数を占めて大統領に選出される。ハードルはそんなに高くなかったが、軍系政党は惨敗した。
 冒頭で「選挙不正」がクーデター正当化の理由になりえるのか、と提起したが、スー・チー政権を誕生させた2015年総選挙でもスー・チー側が「不正」を訴えて大騒ぎになった。軍系政党の票の買収疑惑に加え、今回と同様に有権者名簿の不備に起因するものもだ。名簿に欠落や重複があまりにも多く、NLDは、選挙前に修正版を発表した選挙管理委員会に「依然3〜8割が誤りだ」と猛反発した。結局はNLDが大勝。当時のテイン・セイン政権の選管は異議申し立てを受け付け、まがりなりにも調査を行って騒ぎは収束した。


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