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大中華世界的話題(その3)
1190
:
チバQ
:2021/02/04(木) 11:43:59
「(スーチーの)息子たちがミャンマー国籍に戻れば、国民はみんなハッピーですよ。ドー・スー(編集部注:アウンサンスー・チー氏の愛称)が大統領としてその身を国民に捧げる覚悟があるなら当然、息子たちを説き伏せるべきです」
アウンサンスーチーは長男との不仲がうわさされる。スーチー本人は「成人した息子たちを説得するつもりはない」と漏らしてきた。ウィンティンの言葉は、息子たちに「英国籍を離れてよ」とは言えない彼女の身上を見透かした、冷評のように思えた。
友人のジャーナリスト、シードアウンミンは「息子たちがたとえミャンマー籍に変わると決心しても、当局が資格審査で阻む可能性があります」と指摘した。スーチーに大統領資格を与えないためにはどんな手も使うはずだ、との見方である。
国内外の民主派やその支持派は国籍条項について、「軍政がスーチーを標的として設けたのだ」と非難してきた。イエトゥ情報相兼大統領報道官にこの点を問うと、憲法改正論議でスーチーが「改革の一部は失速している」と政権批判を展開してきたことを踏まえ、言い返した。「ドー・スーの批判は自分が大統領になれるかどうか、彼女が求める判断基準に沿ったものに過ぎません」
国軍vsアウンサンスーチーという対立の構図
スーチー標的論を考えるには、少し「過去」を振り返る必要がある。
旧軍政期以来の「国軍vsアウンサンスーチー」という対立の構図は、ざっくり言えば「ビルマ族仏教徒」というコップの中の争いだった。アウンサン将軍は「建軍の父」であり、スーチーの実父である。内戦で戦う少数民族の武装勢力はコップの外の敵。国軍は、スーチー率いる民主化運動によってコップの中と外の二正面作戦を強いられることになった。
イギリスはその植民地支配でカチン族やカレン族といった一部少数民族に対し、キリスト教への改宗を推し進め、多数派の仏教徒ビルマ族を支配する立場として優遇した。「分割統治」である。ビルマ族は独立により支配権を奪い返した。独立に伴う内戦の勃発は、被支配者の立場に転落した少数民族の「復権」を懸けた闘争という側面もある。
イギリスがこの国に残した「負の遺産」は、内戦にとどまらない。民政移管後に顕在化した仏教徒とイスラム教徒の対立もその一つだ。同じ大英帝国下、インド側から大量のベンガル系イスラム教徒が流入する。テインセイン大統領もミンアウンフライン最高司令官も、私のインタビューにイギリスへの恨み節をとうとうと語っていた。
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