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大中華世界的話題(その3)
103
:
チバQ
:2019/10/07(月) 17:00:49
1219: チバQ :2019/09/30(月) 18:07:03
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201909/CK2019092302000131.html
<望郷と苦悩 ロヒンギャ大量避難から2年> (中)危険な場所 望まぬ帰還
2019年9月23日 朝刊
バングラデシュ南東部コックスバザールで見渡す限りバラックが連なる難民キャンプ
写真
ミャンマーでの迫害から逃れたイスラム教徒少数民族ロヒンギャが暮らすバングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプ。九月上旬、両国が選んだ帰還候補者に対し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などが意向を聞くためのテントが設けられていた。だが、訪れる難民はまばらだ。
「なぜ自分が選ばれたのか見当が付かない」。おいと現れたハミダさん(35)は、顔を覆うニカブからわずかにのぞく眉間にしわを寄せた。
二〇一七年八月末ごろ、ハミダさんが住んでいたミャンマー西部ラカイン州の村は、治安部隊の攻撃に遭った。大勢の村人がバングラデシュを目指す混乱の中、漁師の夫を見失った。
「夫の生死は分からないまま。危険なミャンマーには戻れない」。子ども六人と残されたハミダさんは、はっきりと帰還を拒んだ。
計七十万人を超えるロヒンギャの大量避難が始まってから八月二十五日で二年がたった。直前の二十二日、両国政府は難民の帰還を開始する予定だった。約三千五百人を第一陣に選び、本人の同意を前提にミャンマーに帰そうとしたが、応じた人は一人もいない。キャンプ内の地区リーダーの男性(27)は「管轄する百六十世帯のうち十四世帯が選ばれたが、誰も帰還を望まず、そのうち約十世帯はキャンプ内の親戚宅などに隠れた」と明かす。
身を潜めた女性(25)は「ミャンマー政府が不法移民扱いしているロヒンギャに国籍を与え、他の民族と平等に扱わない限り、戻っても監獄に入るのと一緒」と不信感をあらわにする。
両国政府は昨年十一月にも、帰還開始に失敗している。ラカイン州では国軍と仏教徒少数民族の武装勢力との戦闘が激化し、治安の不安定さが続く。にもかかわらず八月中旬、今回の帰還計画が公表された。国連機関の関係者は「大量避難から二年の節目や九月の国連総会を前に、成果のアピールを図ったのだろう。あまりに拙速だ」と批判する。帰還失敗後の両国は、互いに相手の準備不足や不手際が原因だと責任をなすり付け合っている。
両国の計画の枠外で、ひそかに自力で戻った難民もいる。日本の丸山市郎・駐ミャンマー大使は八月下旬、ミャンマー政府が把握する約二百五十人の自力帰還者のうち十二人と面談した。
「キャンプ内で『帰る』と言ったら、(潜んでいる)武装勢力に殺される」。帰還者らは面談時にそう語ったという。国籍取得などの帰還条件を勝ち取るまでは帰らない、帰れば裏切り者-。ミャンマー政府に対して強硬姿勢を取る同胞内の圧力をうかがわせる。
望郷の念と帰還を巡る不安。難民の複雑な心情は、政治的思惑含みの帰還計画にくみ取られていない。(コックスバザールで、北川成史、写真も)
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