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欧州情勢・西洋事情
801
:
とはずがたり
:2015/10/18(日) 22:07:29
>>800-801
気性の激しいサッチャーに野党党首時代から最も長く仕えたハウは物静かで、フクロウのような賢さと、忍耐強さ、強固な意思を兼ね備えていた。労働党の政敵デニス・ヒーリーからハウの攻撃は「死んだ羊にかみつかれるようなもの」とこき下ろされたが、その評価は間違っている。
深刻なスタグフレーションを克服するため緊縮財政を打ち出した1981年予算には経済学者やエコノミスト364人が反対書簡を英紙タイムズに掲載した。しかしケインズ主義から新自由主義経済への方向転換で、ハウは見事に英国経済をよみがえらせる土台をつくった。世界経済の好転という幸運もあった。
決断と行動の人サッチャーは、ハウの持って回った慎重な言い方が我慢ならない。英国経済の建て直しでは利害が一致していたが、米国との「恋愛関係」とまで評されたサッチャーと、米国をしのぐ経済圏である欧州との統合を目指すハウの溝は次第に埋められなくなっていく。
ハウと後任の財務相ローソンがERM(欧州為替相場メカニズム=ユーロの準備段階)加入を表明しない限りは同時に辞任するとサッチャーを脅し、要求をのませた。しかしサッチャーの反撃もすさまじく、ハウは実権のない副首相に降格された。
90年10月、ローマでの欧州理事会でサッチャーは初めて「英国は永遠に単一通貨に参加しない」と表明した。一方、ハウはサッチャーに断りなく「英国は単一通貨の原則に反対しない」と発言した。
帰国後、サッチャーは、「欧州議会は下院、欧州委員会は執行機関、閣僚理事会は上院」というドロール欧州委員長の案に「ノー」を3回突き付け、単一通貨はサッチャー政権の方針ではないことを確認、ハウは辞任に追い込まれる。
「柔軟だったサッチャーが最後は独善に陥った」
ハウは政局とは無縁の、政策の人である。だからこそ肌合いの違うサッチャーと長続きした。「それまでのサッチャーは周りの意見を取り入れ、柔軟に妥協していた。しかし、最後は柔軟性を失い、独善に陥った」とハウは静かに言った。英国の未来は欧州とともにあるとハウは信じていた。
「忠誠心の衝突」と題した90年11月13日、ハウの下院での辞任演説は英国の政治史に刻まれている。
「あたかも両者の間に道がないかのように、『独立した主権国家間の協力』と『中央集権的な連邦制の超国家』という単純化され過ぎた選択肢、誤った対立概念、偽りのジレンマに私たちを陥れる愚をいかなるコストを払ってでも避けなければなりません」
「首相への忠誠心、20年をともにした忠誠心の本能は今なお健在です。私が真実の国益と考えるものへの忠誠心。その忠誠心の衝突があまりにも大きくなりすぎました。内閣に留まってこの衝突を解消するのは不可能であることに疑いを差し挟む余地はありません」
「それが私が辞任した理由です。(略)おそらくあまりにも長く私が格闘してきた忠誠心の悲劇的な衝突に対し、誰か別の人が答えを出す時が来たのです」
ハウの呼びかけに応じるように閣内、党内から造反が相次ぎ、サッチャーは辞任に追い込まれた。英国は次のメージャー政権下に起きた92年のポンド危機でERM離脱に追い込まれる。その後、誕生した単一通貨ユーロはハウが思い描いていたようには機能していない。
EUはドイツの首相メルケルを中心にさらなる統合の深化を目指している。そうした流れに逆らうように英国はEUとの交渉に臨み、『独立した主権国家間の協力』と『中央集権的な連邦制の超国家』の間のどこに着地できるかを模索している。25年前の「忠誠心の衝突」は今も行方を求めてさまよい続けている。
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