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欧州情勢・西洋事情
1
:
とはずがたり
:2014/05/26(月) 18:46:47
平沼騏一郎や福沢諭吉に限らず西洋・欧州・EUその他あの辺綜合スレである。
前スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1116784031/l50
より欧洲ネタを独立。
歴史ネタは西洋史スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1165050511/l50
へ
800
:
とはずがたり
:2015/10/18(日) 22:07:09
木村正人
欧州インサイドReport
EU離脱か残留か、今もさまよう「忠誠心の衝突」
http://www.newsweekjapan.jp/kimura/2015/10/eu.php
2015年10月15日(木)17時47分
英保守党のキャメロン政権は来年6月から2017年4月までの間に、欧州連合(EU)に残留するか、離脱するかの国民投票を実施する。EU離脱を党是に掲げる英国独立党(UKIP)に対し、ビジネス界を中心に残留派のキャンペーンも始まった。
EUが単一通貨ユーロを軸に連邦制に近い統合に突き進むのを止めるため、首相キャメロンはEUに改革を求めている。国際金融街シティーなど英国の権益は守りたい。単一市場のEUとは別れがたいが、これまで以上の主権の委譲は受け入れられないという二律背反。
キャメロンはEU離脱を望んでいない。世論調査を見ると、英国民もEUとの交渉で英国の主権と権益が守られれば、残留を希望している。親欧路線か、欧州への懐疑か。英国政治の片翼を担ってきた保守党は第二次大戦後、2つの思考の間をさまよってきた。
保守党と英国の葛藤を体現する元財務相・外相のジェフリー・ハウが今月9日、妻のエルスペスさんと2人でジャズ・コンサートにでかけたあと、英中部ウォリックシャー州の自宅で亡くなった。88歳だった。死因は心臓発作と報じられている。
影の財務相、財務相、外相、最後は副首相と15年9カ月にわたって英首相サッチャーを支え続けたハウに3度、英議会の上院でインタビューしたことがある。
最初は2008年暮れ、サッチャーと元ソ連大統領ゴルバチョフの会談についてだった。1984年12月、当時、外相だったハウ氏と外務省のアドバイスを受け入れ、サッチャーは書記長チェルネンコの有力後継候補であるゴルバチョフを英国に招いた。
ソ連議会代表団団長を務めるゴルバチョフは英南部チェッカーズの首相別邸でサッチャーと懇談、「パクス・ブリタニカ」を象徴する英首相パーマストン(1784〜1865年)の「英国には永遠の友も永遠の敵もなく永遠の利害関係者があるのみ」という言葉を引いて、「私たちの仕事は共通する利害を特定することだ」と述べた。
「英国は永遠に単一通貨に参加しない」
その場に同席していたハウは「ゴルバチョフが冷戦の緊張を打開したいと切望しているのはパーマストンの引用からも明らかだった」と回想した。チェルネンコは85年3月に死去。モスクワでの葬儀に参列したサッチャーは書記長に就任したゴルバチョフと45分にわたって会談、ソ連を警戒していた米大統領レーガンに「ゴルバチョフは一緒に仕事ができる人よ」と伝え、冷戦終結に道を開いた。
2009年11月には、ベルリンの壁崩壊20年と、英保守党が政権奪取のために掲げた緊縮財政策についておうかがいした。「あの時誰1人として次に何が起きるかを予測できなかった。米英仏ソの首脳より大衆が主要な役割を果たした。私は東西ドイツが分断したままでは欧州の統合は不可能と考えていた」
保守党の緊縮財政策については「歳出削減はいつも不人気だが、政治家はそれを実行する勇気を持たなければならない。まず国民に真実を伝えることだ」と語った。最後のインタビューは消え入りそうな声で、何を言っているのかメモも取れなかった。録音機を聞き返しても聞こえず、記事にできなかった。
801
:
とはずがたり
:2015/10/18(日) 22:07:29
>>800-801
気性の激しいサッチャーに野党党首時代から最も長く仕えたハウは物静かで、フクロウのような賢さと、忍耐強さ、強固な意思を兼ね備えていた。労働党の政敵デニス・ヒーリーからハウの攻撃は「死んだ羊にかみつかれるようなもの」とこき下ろされたが、その評価は間違っている。
深刻なスタグフレーションを克服するため緊縮財政を打ち出した1981年予算には経済学者やエコノミスト364人が反対書簡を英紙タイムズに掲載した。しかしケインズ主義から新自由主義経済への方向転換で、ハウは見事に英国経済をよみがえらせる土台をつくった。世界経済の好転という幸運もあった。
決断と行動の人サッチャーは、ハウの持って回った慎重な言い方が我慢ならない。英国経済の建て直しでは利害が一致していたが、米国との「恋愛関係」とまで評されたサッチャーと、米国をしのぐ経済圏である欧州との統合を目指すハウの溝は次第に埋められなくなっていく。
ハウと後任の財務相ローソンがERM(欧州為替相場メカニズム=ユーロの準備段階)加入を表明しない限りは同時に辞任するとサッチャーを脅し、要求をのませた。しかしサッチャーの反撃もすさまじく、ハウは実権のない副首相に降格された。
90年10月、ローマでの欧州理事会でサッチャーは初めて「英国は永遠に単一通貨に参加しない」と表明した。一方、ハウはサッチャーに断りなく「英国は単一通貨の原則に反対しない」と発言した。
帰国後、サッチャーは、「欧州議会は下院、欧州委員会は執行機関、閣僚理事会は上院」というドロール欧州委員長の案に「ノー」を3回突き付け、単一通貨はサッチャー政権の方針ではないことを確認、ハウは辞任に追い込まれる。
「柔軟だったサッチャーが最後は独善に陥った」
ハウは政局とは無縁の、政策の人である。だからこそ肌合いの違うサッチャーと長続きした。「それまでのサッチャーは周りの意見を取り入れ、柔軟に妥協していた。しかし、最後は柔軟性を失い、独善に陥った」とハウは静かに言った。英国の未来は欧州とともにあるとハウは信じていた。
「忠誠心の衝突」と題した90年11月13日、ハウの下院での辞任演説は英国の政治史に刻まれている。
「あたかも両者の間に道がないかのように、『独立した主権国家間の協力』と『中央集権的な連邦制の超国家』という単純化され過ぎた選択肢、誤った対立概念、偽りのジレンマに私たちを陥れる愚をいかなるコストを払ってでも避けなければなりません」
「首相への忠誠心、20年をともにした忠誠心の本能は今なお健在です。私が真実の国益と考えるものへの忠誠心。その忠誠心の衝突があまりにも大きくなりすぎました。内閣に留まってこの衝突を解消するのは不可能であることに疑いを差し挟む余地はありません」
「それが私が辞任した理由です。(略)おそらくあまりにも長く私が格闘してきた忠誠心の悲劇的な衝突に対し、誰か別の人が答えを出す時が来たのです」
ハウの呼びかけに応じるように閣内、党内から造反が相次ぎ、サッチャーは辞任に追い込まれた。英国は次のメージャー政権下に起きた92年のポンド危機でERM離脱に追い込まれる。その後、誕生した単一通貨ユーロはハウが思い描いていたようには機能していない。
EUはドイツの首相メルケルを中心にさらなる統合の深化を目指している。そうした流れに逆らうように英国はEUとの交渉に臨み、『独立した主権国家間の協力』と『中央集権的な連邦制の超国家』の間のどこに着地できるかを模索している。25年前の「忠誠心の衝突」は今も行方を求めてさまよい続けている。
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