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欧州情勢・西洋事情

2351チバQ:2017/10/18(水) 20:10:06

 別の東側の町の高齢のAfD支持者は「(難民など)他人よりも、まずはわれわれを助けてほしい」と訴えた。「東側では賃金も低く、見捨てられたような感じだ」(男性有権者)との声も上がる。

 「ベルリンの壁」崩壊と統一は共産党独裁下にあった旧東独の人々にとり「自由」への解放だったが、東西の経済格差は予想以上に大きく、東側では多くの人が職を失うなどした。東側では東独時代に郷愁を覚える人もいる一方、西側では旧東独出身者を「オッシー(東の人)」と蔑む言葉も使われた。

 難民・移民や経済のグロバール化といった“波”が押し寄せる今、東側の人々がAfDを支持するのは「再度の変革と喪失への恐れのため」(独紙フランクフルター・アルゲマイネ)と指摘される一方、独紙ウェルトの旧東独出身記者は「西に奪われた尊厳を取り戻すための手法」とも解説する。

 シュタインマイヤー氏は「新たな壁」について「疎外感と失望と怒りの壁。その向こうにあるのは深い不信」とも述べ、「われわれはもう一度、互いに耳を傾けることを学ぶべきだ」と訴えた。近年は統一後のドイツの安定に目が向きがちだったが、選挙は道半ばの統一に再び焦点をあてた。

 ドイツのための選択肢(AfD) 欧州単一通貨ユーロ圏の解体や、ドイツへの難民受け入れ反対などを掲げる右派政党。2013年、ギリシャ経済危機を契機に、経済学者や財界人、ジャーナリストなどを中心に結成された。代表はフラウケ・ペトリ、イェルク・モイテンの2氏。

 「ベルリンの壁」建設と崩壊 第二次大戦後に東西に分割されたベルリンで1961年、当時の東独政府により、西ベルリンを取り囲む形で有刺鉄線が設置され、後にコンクリート壁が建設された。東独市民が、西ベルリン経由で西独へ逃れることなどを阻止するのが目的で、ドイツ分断と東西冷戦の象徴とされた。89年、東欧民主化の流れを受けて東独が混乱する中、東独当局者が勘違いに基づき、ベルリンの壁を含むすべての国境通過点からの旅行が即時自由化されると発表したことで東独市民が国境検問所に殺到。国境警備隊がゲートを開放したことで、実質的に壁が崩壊した。


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