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左翼・革新・護憲 斗争スレ

146名無しさん:2015/09/16(水) 21:04:11
>>145

 安保反対の動きは勢いを増していった。条約への抗議ストには全国で400万人以上の労働者が参加し、国会には連日のように10万、20万という人数のデモが押し寄せた。1960年6月15日には全学連中心の30万人が国会包囲デモを組織して、多数が国会構内に乱入した。その過程でデモに参加した1人の女子学生が死亡した。

 当時も、「アメリカの戦争に巻き込まれる」というのが日米安保条約反対派の主張だった。ちなみにソ連は同条約に当然反対した。ソ連側の当事者たちの回顧録によれば、当時ソ連は日本の反対勢力に資金を援助していたという。

 条約案は、衆議院で与党だけによって強行採決された。その後、参議院では審議のないまま6月19日に自然成立した。ただし岸信介首相は混乱の責任を取る形で辞任した。

■ 安保反対派が目にすることになったその後の日本

 こうした1960年の安保騒動は、現在の安保法制関連法案に対する反対運動と似ている点が多い。

 だが、60年安保反対運動の当事者たちは、その後の日本を生きて「皮肉な真実」を見せつけられることになる。「不都合な真実」とも言えようか。あれほど激しく多くの日本人が反対したはずの日米安保条約は、戦後の日本の極めて合理的かつ賢明な決定として、大多数の日本国民に受け入れられるに至ったのである。

 私が出演したテレビ番組には、自民党、公明党、民主党、維新の党の各代表が出演したが、みな日米安保条約に基づく日米同盟には賛成の立場だった。60年安保に激しく反対した主要新聞も現在では安保条約を認めて同意している。

 日米安保こそが、米軍の強大な抑止力を日本の防衛に取り込んで、あるいは巻き込んで、日本の平和や安定を守ってきた。それは、今の日本国民の大多数の認識だと言ってよい。

 今の平和な日本の姿を見れば、当時の岸信介首相の決断は正しく、安保反対デモの主張は間違っていたということになる。その事実を、現在の反対デモの主導者やそれに同調する民主党指導層はどう見るのだろうか。

古森 義久


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