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自民党スレ

957名無しさん:2015/11/14(土) 17:55:42
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2015111400255
自民、15日結党60年=29日に記念式典

 自民党は15日、結党から60年を迎える。29日に東京都内のホテルで記念式典を開き、安倍晋三首相(党総裁)が演説。これまでの足跡を振り返りつつ、党の未来像を打ち出す考えだ。
 自民党は1955年11月15日、当時の自由党と日本民主党の「保守合同」により誕生し、初代総裁には故鳩山一郎氏が就任。安倍首相は第25代総裁となる。
 「55年体制」と呼ばれる長期単独政権をほぼ一貫して維持し、戦後日本の政治・経済をけん引した。93年に野党に転落し、94年に政権復帰したものの、2009年に再び下野、12年に安倍総裁の下で政権に返り咲いた。憲法改正を党是に掲げるが、実現には至っていない。 
 29日の式典には、歴代総裁や党所属国会議員、地方議員ら約4000人が参加。来賓として公明党の山口那津男代表が出席する。(2015/11/14-14:39)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2015111400280
派閥全盛から「安倍1強」へ=党内力学様変わり-自民党

 自民党は1955年の結党以来、現在の安倍晋三総裁を含め計22人の首相を輩出した。かつての自民党政権で、大きな影響力を行使したのは派閥の存在だ。派閥の数や領袖(りょうしゅう)の名の一字を取って「8個師団」「三角大福中」などと称されたほど。だが、今の派閥に全盛期の面影はない。安倍首相が政権運営の主導権を握る「安倍1強」体制を構築、党内力学は様変わりした。
 ◇総主流派に
 「8個師団」と呼ばれたのは結党直後、岸信介氏や池田勇人氏らが率いた8派閥。「三角大福中」とは三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘各氏が領袖の5大派閥だ。当時の派閥は、それぞれの領袖を首相に担ぐことが最大の目的で、党内で多数派を形成するため激しい権力闘争を展開。中でも旧田中派は、豊富な資金力を武器に絶大な権勢を振るった。
 現在も党内には安倍首相の出身派閥である細田派を筆頭に8派閥が存在し、石破派を除く各派が「三角大福中」の流れをくむ。しかし、派閥の領袖として「総裁候補」と目されるのは、岸田文雄外相と石破茂地方創生担当相の2人にとどまる。9月の総裁選では全派閥が安倍首相再選を支持し、「総主流派」体制が鮮明になった。
 首相は10月の内閣改造で官邸主導の人事を貫き、派閥の衰退ぶりがくっきりと浮かび上がった。「聖域」とされた党税制調査会長を野田毅氏から宮沢洋一氏に交代させたのも官邸の意向。国会運営でも、与党側が召集時期や会期延長幅を差配していた時期が長かったが、今は官邸が実質的な決定権を握る。「われわれは官邸の下請けだ」。党国対幹部は、政府が党よりも優位に立つ「政高党低」を自嘲気味に認める。
 ◇「存在理由分からない」
 「選挙制度が中選挙区制から小選挙区制に変わったということが、派閥の在り方を全く変えた」。9月に自前の派閥を結成したばかりの石破氏は、13日の記者会見でこう指摘した。
 かつての派閥は、衆院選で自民党から複数の候補が同一選挙区に立つ中選挙区制の下、勢力拡大のためカネをつぎ込み、党内で競い合ったが、1994年の政治改革関連法成立で状況が一変。定数1の小選挙区制導入で党の公認権を執行部が一手に握ることになり、政党助成法により政治資金を配分する権限も執行部が掌握した。
 その執行部を決めるのが首相であり、「党の顔」である首相が一定の内閣支持率を維持すれば、党側が逆らうのは容易ではない。小泉純一郎元首相や安倍首相はその好例と言える。
 次期総裁候補を抱える岸田派からは、「派閥は大将(領袖)を首相にしようという集団だ。本来の仕事をしよう」(若手)と、「岸田首相」実現を目標とする動きも出始めた。石破派も、石破氏が首相の座を目指して結成したという意味で、本来の派閥の性格に近い。
 しかし、9月の総裁選で、岸田氏はあえて安倍首相に挑もうとせず、石破氏も首相の総裁再選を待って派閥を結成した。権力闘争に及び腰な派閥の実情に、無派閥議員からは「全派閥が現職首相を支持するなら、派閥の存在理由がよく分からない」との声も漏れている。(2015/11/14-15:32)


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