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自民党スレ

4835名無しさん:2020/09/17(木) 14:57:36
>>4834

 一見して明らかなのは、2006年から2007年までの第1次にせよ、つい終わりを迎えたばかりの第2次にせよ、「安倍政権」に言及する記事数が突出して多く、かつて一般的だった「内閣」をはるかに凌駕(りょうが)していることである。中曽根や竹下では、「内閣」と呼ぶ記事数が「政権」と言及するものの2倍であったものが、第2次安倍政権では「政権」という呼称が定着し、逆に「内閣」とする記事の3倍を超えている。

 実はこうした報道における用語法や政治認識の変化は、第2次安倍政権に先んじた民主党への政権交代を経て加速した。「政府与党一体化」や「政治主導」を強調した民主党では、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦のいずれの首相でも、「政権」としての言及が「内閣」をゆうに上回っており、「鳩山政権」に至っては1日あたり9.9件も(「鳩山内閣」は4.7件)記事があったことが確認できた。皮肉なことに、「内閣」でなく「政権」であったという意味では、安倍は小泉よりも民主党政権に近似しているのである。

 ■2012年体制の本質と懸念

 もちろん根本的な違いは、民主党が政府与党一体化や政治主導によって二大政党制の一方を担うことを目指して挫折し3年3カ月で下野したのに対して、第2次安倍政権が7年8カ月も続き、かつ第1次政権の時から、「政権」たることに満足せず「戦後レジームからの脱却」をうたったように、「体制」変革までも射程に入れていたことである。

 つまり安倍は、2012年12月に民主党政権とともに二大政党制が崩壊した際に政権復帰を果たし、官邸支配と呼ばれる強権的な仕方で、不都合な公文書の隠蔽(いんぺい)、改ざん、廃棄までも自ら犯すほどに官僚制を掌握、操縦した。

 その後も「1強体制」と言われるまでに与党内そして野党を圧倒したのみならず、マスコミを懐柔、圧迫してきた。さらには違憲の安保法制を強行しただけでなく、憲法53条に基づく臨時国会の開会請求を再三無視し、カジュアルに憲法違反を続けてきた。


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