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自民党スレ

2010名無しさん:2016/12/18(日) 15:08:18
>>2009

初めての「挫折」で見えたもの
 ただ、進次郎にも大きな責任はある。

 改革会議のあまりに急進的な改革案の内容は事前に承知していた。改革会議の案をまとめる金丸恭文・フューチャー社長とはやりとりできる仲だ。もっとやり方があったのではないか。

 私は進次郎にきいてみた。

 「高すぎるボールが農協を予想以上に怒らせたのでは?」

 進次郎からはこんな答えが返ってきた。

 「どんな交渉でも、発射台というのは高いものですよ。そうでないとまとまらないですよ」

 私は突っ込んだ。「でもやはりもう少し低いボールにすればよかったのでは」

 すると、「ああすればよかった、こうすればよかったなんて、政治の世界はタラレバはダメです」と語った。

 進次郎と議論してきたJA関係者によると、改革会議から、とんでもない高い困難なタマが飛んで来るということは、進次郎は周囲には微塵(みじん)も感じさせなかったという。JA関係者はこう話す。

 「事前に本当に内容を知っていたのなら、大した役者だ」

過剰な期待を招いてしまった
 進次郎のこれまでの発言が過剰な期待を招いた面もある。

 議論が本格化した夏以降、「農業の根本的な構造を変える」「不可逆的な、後戻りできない改革を目指している」などと、ことあるごとに語った。その一方で、どういう落としどころにもっていくのか、具体的な案についてはほとんど語らなかった。私やほかの記者も、進次郎がとんでもないサプライズを計画していて、実現するのではないか、と考えたりもした。

 秋になって、トーンが変わってきた。

 「全農に、経済原理を超えるような改革を求めているわけではない」「マスコミに注目されないような内容になっても、しっかりやるべきことをしっかりやる」。おやっと思った。結局、びっくりする内容にはならないのかな、とも思い始めた。

「自民党農林部会長は中間管理職みたいなもの」
 今、進次郎は語る。

 「自民党農林部会長って、中間管理職みたいなものなんです。一人で旗もって走って行くわけにはいかないんです」「私は農業の素人だった。農林部会長という立場で、どこまでいけるか、何ができるか常に考えてきた」

 実際には、どのような落としどころにするのか、本人も良い答えが見つからなかったのだろう。

 全農は、民間団体。なかなか強制的に改革は求められない。農水省が2000年代から何度か改革の必要性を提言してきたが、徹底されなかった。進次郎ほどの発信力をもってしても、短期間にできることは限られる、ということが改めて浮き彫りになった。

 進次郎にとって初めての「挫折」だ。2009年に初当選。自民党が政権に復帰してからは復興大臣政務官として被災地復興にあたるなどした。その後は、党の青年局長。「強い抵抗にあうような仕事はなかった」(地元関係者)。それが今回、JAグループという最大級の政治力を持つ団体を相手にした改革。思うようにはいかなかった。

 進次郎は今振り返る。

 「政治の世界は一寸先は闇という本当の意味もわかった。また抵抗勢力が具体的にどのような抵抗をするか、どのような包囲網をひくか。その姿もまざまざと見た」

 「戦うといってくれて本当に戦ってくれる人、実際は戦ってくれない人。それもわかった」

 「勝つか負けるかわからない勝負に出たからこそ、初めて見えた風景があった。その経験は大きい」


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