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第47回衆議院議員総選挙(任期満了2016年)スレ
332
:
チバQ
:2014/04/23(水) 23:14:54
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140423/kgs14042302060001-n1.htm
産業衰退と人口減−苦しむ奄美 鹿児島 2区補選
2014.4.23 02:07
奄美空港近くに広がるサトウキビ畑。基幹農作物だが農家の高齢化が進み、生産量は年々減っている=奄美市笠利町
■島民「沖縄がうらやましい…」
徳洲会グループの選挙違反事件を受けた衆院鹿児島2区補欠選挙(27日投開票)で、有権者の3割強を占める奄美群島。鹿児島市から約400キロ離れた島々では、産業衰退と人口減少が進む。補選でも、島民の関心は奄美の活性化。どの政党、候補が奄美を苦境から救ってくれるのか−。(田中一世)
◇
奄美大島、徳之島、与論島など8つの有人島からなる奄美群島は、昭和20年8月の終戦で米軍の統治下に置かれ、日本への復帰は講和条約発効より1年半遅れの28年12月だった。
翌29年に奄美群島振興開発特別措置法(奄振法)が施行され、政府は奄美の自立的発展に向け、これまでに総額2兆円以上を投じ、道路、港湾、空港、屎尿(しにょう)処理施設などの整備を進めてきた。
だが、人口は減り続けた。昭和30年、奄美群島には20万5千人が住んでいたが、昨年10月時点は11万4千人で44%も減っている。
沖縄県と比べると差は歴然としている。
昭和47年の復帰後、沖縄県には総額10兆円もの公的資金が投入され、税制の特例措置、政策金融支援が続けられた。米軍普天間飛行場の移設問題後はさらに上積みされた。沖縄県の人口は、昭和50年に104万人だったが、今年3月は142万人と36%も増加している。
奄美市の自営業の女性(71)はこうこぼした。
「都会に出た息子夫婦や孫たちは飛行機代が高いからと言って盆や正月も帰ってこない。沖縄はにぎやかでうらやましいですよ…」
× × ×
人口減の要因の一つが、島の産業基盤の弱体化だ。
「若い人は高校や大学進学で本土の都会に出ると戻ってこない。島に帰っても働き口が少ないからね…」
サトウキビ畑が広がる奄美大島の奄美市笠利町。3月末に収穫を終え、畑を耕していた平江誠司さん(58)はこう語った。
平江さんは建設会社に勤める傍ら、祖父母の代から続くサトウキビ畑を守ってきた。だが、息子2人は関西と中部で就職しており、自分が引退した後、サトウキビ畑を誰が継ぐのか、見通しは立っていない。
台風が多い奄美群島では、風雨に強いサトウキビが基幹農産物だが、23年度のサトウキビ栽培量は28・7万トンで、昭和60年の最盛期の4割まで落ち込んだ。奄美群島だけ製造が許可されている黒糖焼酎の出荷額も76億円で、最盛期(平成17年)の7割に減った。
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉でも、サトウキビなど甘味資源作物は俎上に載っている。日本政府は関税維持を求める重要5項目の一つとしているが、交渉の行方次第では、基幹農産物の環境はさらに厳しくなる。
下り坂なのはサトウキビだけでない。柑橘類のタンカン、伝統工芸の大島紬(つむぎ)などの産業も低迷している。建設業は公共事業費削減により苦しんでおり、観光産業も高額な航空運賃がネックとなって伸び悩む。
徳洲会グループを創設した徳田虎雄元衆院議員の信望がいまだに厚いのは、この衰退する奄美に「医療・福祉」という産業を興したからだ。同グループは奄美群島で約40の医療・福祉施設を運営し、従業員だけで1千人以上、取引先を含めれば、その数倍の雇用を生み出した。
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