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第47回衆議院議員総選挙(任期満了2016年)スレ
2818
:
チバQ
:2014/12/18(木) 22:39:16
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20141217/CK2014121702000132.html
衆院選 勝敗の分かれ目(上) 野党協力、不発に終わる
2014年12月17日
公示日の太田氏の出陣式。聴衆はまばらで、民主関係者の応援はなかった
写真
衆院選は県内でも自民党が十三小選挙区で十一勝と圧勝した。野党間の候補者調整による選挙協力はなぜ実を結ばなかったのか。自民は本当に「強かった」のか。検証する。
「事実上の唯一の野党候補。自民に対抗できる野党勢力をつくる」。8区(柏市一部と我孫子市)の維新の党・太田和美氏は自民、共産両党候補と競合する選挙戦初日の二日朝、JR柏駅前で声高に訴えた。しかし、聴衆はまばらで協力相手の民主党関係者の姿も見当たらない。民主は「(応援せずに)寝ることにした」(党関係者)からだ。
太田氏が維新の公認を受けたのは、選挙直前の十一月下旬。陣営は、後援会組織が整わないまま落下傘的に選挙に突入したが、一つの計算があった。
二年前の前回衆院選で8区は候補者が乱立し、五人が争った。約九万四千票を集めた自民の桜田義孝氏が当選したが、共産を除く野党票を合計すると約十二万票に上り、計算上は「反自民の受け皿」として十分勝機はあると見込んでいた。
しかし、実際はそんなに甘くなかった。民主県連は当初、引退した元職の松崎公昭氏の後継として地元県議を擁立しようと計画。最終的には党本部主導による候補者調整で、見送るしかなかったが、松崎氏は「8区は重要なのに党本部は軽んじた」と党の姿勢を強く批判。太田氏が元民主だった経歴も影響し、最後までわだかまりは解消しなかった。
松崎氏は野党協力について「準備不足で、候補者の調整にとどまった。8区もそうだが、全国的にも実際には協力していないのが実態ではないか」と指摘する。太田氏も選挙中には「他党が候補者を出さないことが最大の選挙協力」と記者団に繰り返し説明していた。
太田氏にとっては、民主や第三極に対する有権者の不信が予想以上に根強かったことも誤算だったようだ。「選挙戦序盤で、前回の野党票の単純な足し算にならないとわかった。何度か国政選挙を経験したが、最後まで読めなかった」
太田氏の得票は約七万票。当選した桜田氏に約二万九千票の差がついた。
期待していた安倍政権に対する批判票の一部は共産候補に流れた。共産候補は前回の二倍強の約三万二千票を獲得した。
白票など無効投票数が増えたのも特徴だ。8区では投票した人の4%に当たる九千票に上った。前回選挙よりも投票率が下がったにもかかわらず、千票余り増えた。反自民の「受け皿」には程遠かった。
太田氏は十五日未明、復活当選を果たすと「野党再編に向けた調整は失敗に終わった。反自民の勢力がともに選挙戦を戦えるような野党協力をする必要がある」と自戒を込めて話した。 (三輪喜人)
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