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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

1610チバQ:2010/02/16(火) 21:53:07
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000711002130002
夢幻飛行 3/11茨城空港開港


前史(中) 「平和利用」願いこめ
2010年02月13日


滑走路への誘導路を進む自衛隊の戦闘機。少なからぬ住民が今も基地反対の思いを抱いている=小美玉市の百里基地

 1990年当時、国は「国土の均衡ある発展」を掲げて「1県1空港」を推進していた。建設省出身の竹内藤男知事(故人)がそこに目を向けなかったはずはない。
 旧小川町(現小美玉市)の商工会長だった山西庸義(つね・よし)さん(73)に自民党衆院議員、額賀福志郎氏(66)からかかった突然の電話は、知事の意向についてだった。


 山西さんの記憶によると、そのとき額賀氏は竹内氏を知事室に訪ねた際のことを話した。「百里基地周辺にインディ500(のサーキット場)を誘致するように党本部の幹事長から持ちかけられた、と知事が言っていた」と。


 だが、竹内氏の腹の中にインディ500はなかった。実は竹内氏はインディ構想の前から百里基地を民間と共用する構想を温めていた。山西さんは竹内氏から直接それを聞いたことがある。「百里基地を民間共用空港とし、首都機能を移転させ、国会議事堂を持ってくる。百里まで鉄道を通す」。壮大な構想だった。


 インディ構想を持ちかけられても、竹内氏の脳裏には民間共用空港の夢しかなかったに違いない。しかし自民党の支援で当選した竹内氏にとって、幹事長の意向を無視することはできない。相談されたのが、額賀氏だった。


 「知事はインディに反対してほしいと言っている」。そう話す額賀氏に、山西さんは答えた。「私も共用化の方が活性化になると思います。反対しても構いません」


     ◇


 「実際に幹事長から知事へ指示があったかどうかは分からない」と前置きし、額賀氏が当時をこう振り返る。


 「竹内知事は百里を民間と共用化する方が活性化になると考えていた。そのため地元選出議員の私に、共用化できるかどうかを調べてほしいと言った。私も共用化の方が地元が活性化すると思い、山西さんを口説いたことがある」


 額賀氏からの電話をきっかけに、山西さんは共用化推進のリーダーとして動く。


 旧小川町には百里基地の設置をめぐって地元が2分した歴史がある。反対派の旗頭は山西さんの母、きよさん(故人)だった。きよさんは憲法9条の観点から基地設置に反対、町長まで務めた。


 共用化を掲げたとき、山西さんは一線を離れたきよさんに是非を相談したことがある。返答は「自分の考えでやりなさい」だった。


 竹内氏が共用化構想を公にして1カ月後の92年9月、山西さんは町議会に共用化推進の請願書を提出する。きよさんが亡くなった翌年の97年には、基地反対の一坪運動をした約500人に共用化への意見を手紙で聞いた。〈山西きよの長男です。これまで軍隊基地だったところに民間機が乗り入れるということは、私は、基地の平和利用になると考えます。ご意見をお聞かせください〉と。


 当時から滑走路新設は基地の強化だ、という意見があった。山西さんはきよさんもそう考えていたと思っている。しかし自分は別の道を選択した。きよさんを支えた人たちへの配慮と、2分した地元が今回は一つになれるかもしれないという期待だった。


 回答があったのは約半数。共用化賛成はさらにその半分だった。基地に反対した人たちの反応は、思った以上に厳しかった。(岡村夏樹)


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