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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

5904名無しさん:2016/11/14(月) 23:31:25
>>5903

国会議員にこだわる
 なぜ国会議員にこだわっていたのでしょうか。

 記者の問いかけに米山さんは「制度を作りたいと思ったから」と答えています。「政策通」と自負し、制度や仕組みを考えるのが好きなのだそうです。医療、年金、介護難民、ブラック企業の問題……。どれも、国の制度をいじることで、解決の道筋がつけられると考えたそうです。

 落選するたびに「すごく落ち込んで、趣味のテニスもする気にならなくなる」のだとか。

 それでも「世の中の制度的な理不尽、仕組み上の理不尽に、説明できない怒りがこみ上げてくる。解決法が思い浮かぶし、そういうの考えるのが好き。ある種の自信をもっていて、起こってくる怒りと、『自分がおそらく正しいことを言っている』と思う信念が支えている」といいます。

切り札として立候補
 最近は、月〜水は東京で弁護士、木〜土は魚沼の実家に戻って訪問診療の医師、という生活を続けていたそうです。ちなみに、いまも独身だそうです。

 全ての流れが変わったのは8月30日。原発再稼働に極めて慎重な姿勢をとり続けていた泉田裕彦知事が突然、「知事選からの撤退」を発表。県民からは高い支持を受けていただけに、新潟県政界に衝撃が走りました。

 米山さんが所属していた民進党は独自候補の擁立を目指して、複数の人物との交渉を始めましたが、最終的に断念。特定の候補を応援しない「自主投票」とすることを決めました。

 告示が迫るなか、市民団体と共産、生活(当時)、社民は、泉田知事の原発政策の路線を引き継げる候補者を立てようと、引き続き模索しました。最後の切り札として立候補を求めたのが、米山さんでした。

「背水の陣」覚悟
 しかし、民進党は既に独自候補を断念しています。要請に応じて立候補すれば、党を離れることになるのは必至。夢だった国政の道は断たれてしまいます。

 米山さんは「でも目の前に求められていることがあった」と語っています。制度を執行するのは県。工夫の余地はあり、理不尽さを解消したいという信念も達成できると考えたそうです。

 立候補表明の前夜、ツイッター上でこんな歌を詠んでいました。この歌には、そんな「背水の陣」に挑む覚悟を込めたそうです。

【捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ 我が身をぞ 越後の川に 賽(さい)と投げ打つ】

 告示を6日後に控えた10月23日、米山さんは、民進党に離党届を出し、無所属で立候補することを表明しました。東電柏崎刈羽原発の再稼働問題については、「原発に慎重だった泉田知事の姿勢を受け継ぐ」と明言。「福島第一原発事故の検証なくして議論はできない」としました。

 米山さんは2011年の福島事故後も、原発の活用を主張していた時期があります。自身のブログには「原則すべての原発を再稼働すべきだ」などと記した12年ごろの記事が残っています。このことについて米山さんは、原発推進派だったことを認め、「1年、2年たったら収束するだろうと思っていた。5年経った今でも収束のメドはたっていない。本当の危険をわかっていなかった」と、考えを改めた理由をブログや会見で繰り返し説明しています。


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