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煙草・TABACO・莨

1とはずがたり:2008/10/10(金) 00:34:55
食品・農業・行革スレ等に渡ってるたばこ関係綜合スレ。煙草増税等最近注目なので新たに一スレ立てる。JTの食品会社買収等は食品スレで引き続きやる。
愛煙家から一緒にすなと怒られそうだけど大麻なんかも此処で。勿論犯罪としては法学スレ等そのまま利用で。

日本たばこ
http://www.jti.co.jp/

334とはずがたり:2016/05/18(水) 08:34:10
清原容疑者は更生できるのか?メジャーの社会復帰成功例
THE PAGE
http://ironna.jp/article/3323

 覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された清原和博容疑者に対する世間の視線が厳しい。今後、彼は更生できるのか? 野球界に復帰できるのか? という疑問の声も大きくなっている。だが、メジャーリーグでは、多くの人間が社会復帰に成功している。日米の社会性に大きな違いこそあれど、そこに清原容疑者が更生するヒントはないかーー。

 2010年3月のこと。当時レンジャーズの監督(現アスレチックスコーチ)だったロン・ワシントン監督のコカイン使用が発覚した。前年、大リーグの薬物検査で陽性反応が出たと報じられたのだ。その時点でワシントンは辞任を申し出たそうだが、ノーラン・ライアン(当時レンジャーズ社長)らに慰留され、その後も指揮を執っている。

 その理由としては、「1回だけだから」というものだったが、日本の感覚からすれば、1回とはいえ大リーグの監督がコカインを使用していた、ということだけでも十分に衝撃的で、チームが慰留したこともまた、清原容疑者が今、これだけの立場に置かれていることを考えれば、別世界と映るのではないか。

あのとき実は、まさかワシントンが!? という声は多くはなかった。清原容疑者同様、ひょっとしたらと囁かれていた。なのに簡単に復帰を認められた理由には、メジャーの時代背景がある。

 ワシントンが大リーグでプレイした1980年代は、大リーガーの40%がコカインに手を染めていたといわれ、1986年2月には、パイレーツの選手を中心に11選手がコカインの使用で当時のピーター・ユベロスコミッショナーに処分されるというスキャンダルが起きている。残念ながら当時、大リーグは麻薬にまみれていたようだ。

 その際の処分内容も、日本から見れば甘く映る。例えば、デイブ・パーカーら7選手は、1年間の出場停止処分を受けたが、給料の10%をドラッグの更生プログラムに寄付する限り、試合に出場することを許された。もちろん、不定期の薬物検査、薬物に関連した100時間の社会奉仕活動も課されたものの、出場そのものが制限されることはなかった。残りの4選手も60日間の出場停止となったが、やはり給料の5%を寄付する限り、プレイすることができ、薬物検査などの条件はついたが、それだけだった。

 では、なぜ、コカインを使用しても、清原容疑者のように逮捕をされることもなく、セカンドチャンスが与えられ、更生の成功例が増えるのかだが、そこにはやはりアメリカ社会と日本社会のコカインなど薬物中毒に対する考え方の差がある。日本ではあくまでも犯罪だが、アメリカでは売る側に回らない限り、薬物に手を染めた人は、中毒”患者”と捉えられる。止めたくても止められないーー。つまり、日本では犯罪者となるが、アメリカでは病人と捉えられるため、リハビリによって更生させることに主眼が置かれる。大リーグの場合でも、ステロイドの使用には厳しい罰則があるが、コカインなどの場合は、更生プログラムが適用され、週3回の薬物検査が課される。

 過去、完全なジャンキーとなったエンゼルスのジョシュ・ハミルトンにしても、大リーグ機構は 出場停止処分を下したが、復帰の道を閉ざすことはなかった。1999年6月のドラフトで“いの一番”でレイズから指名されたハミルトンは、2年後にはコカインにはまっていく。翌年から2005年までは、大リーグ機構から受けた出場停止処分も含め、3年間も試合に出場できなかった。その間は無給だったが、2006年にレイズのマイナーで復帰すると、その年のオフにルール5ドラフトでレッズに指名されて移籍。翌年、メジャー初出場を果たし、その初めての試合では彼が打席に入ると、シンシナティの4万2000人のファンが、薬物中毒から抜け出したことに対する賞賛の拍手を送った。ファンらは、後ろ指を差すのではなく、むしろ彼の勇気を称えたのである。

335とはずがたり:2016/05/18(水) 08:34:22
>>334-335
 その後、ハミルトンはリーグMVPを獲得するまでになる。実際、そうして薬物中毒から復帰して活躍した選手は少なくない。前出のパーカーは1990年オールスターに選ばれた。同じときに処分を受けたロニー・スミスは、1989年に「カムバック・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。もちろん、ロッド・スカリーのように薬物中毒から抜け出せず、コカインの過剰摂取による心臓発作で死亡したケースもあるが、大リーグ機構もアメリカの社会も、彼らを見つめる目は、決して批判的でなく、社会復帰を念頭に置いたものだ。

 現役時代、そして引退後に何度かコカインで陽性反応を示したダレル・ストロベリーという選手などは、薬物患者を救う側に回った。彼もまた1980年のドラフトでいの一番に指名されメッツ入り。1984年から8年連続でオールスターに選ばれたスーパースターだが、紆余曲折を経て2014年、2つ目の薬物中毒専門のリハビリセンターを開設している。自分が救われた経験を生かし、「同じように苦しむ人を救いたい」のだという。彼もまた、社会から排除されていたら、どうなっていたか。

 ちなみにそうしたリハビリセンターでは、どういうことが行われているのか。かつて、トム・ウィルヘルムセン(レンジャーズ)が、マリファナの陽性反応が出ると、当時所属していたブルーワーズから強制的に施設に送られたが、その様子を教えてくれた。

「毎日、朝食が終ると、グループごとに集まって、過去の過ちを共有する時間が設けられているんだ。家族を失った人の話も聞いた。仕事を失った人、ホームレスになった人もいた。そういう話をすることは、他人に危険性を伝えるというより、自分自身を晒すことで、過ちを自覚し、障害を乗り越えるという狙いがあるようだ。ただ、それよりきつかったのは、プライベートの時間だ。部屋にはルームメイトがいたが、完全なジャンキーだった。20歳ぐらい上かな。薬物中毒になるとこうなるのか、その恐怖と、彼と一緒にいる恐怖で、とにかく早く出たいと思っていた」

ウィルヘルムセンはその後、一旦は野球を辞めバーテンダーをしていたが、独立リーグから大リーグ復帰を目指すと、マリナーズでそれをかなえている。あの時もまた、彼が初めてメジャーのマウンドに上がると、スタンドからはスタンディングオベーションが沸き起こり、拍手が鳴り止まなかった。

 清原が今後、どう更生の道を歩むかはわからない。覚せい剤に対する社会的な制裁や捉え方に日米の社会で大きな違いがあることは確かだが、日本のトッププレーヤーがこぞって憧れて挑戦を続けているメジャーリーグには、薬物使用から更生した成功例がある。清原容疑者の更生の意思が強いならば、メジャーに習って野球界が、手を差しのべる必要があるのかもしれない。

(文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)


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