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煙草・TABACO・莨

335とはずがたり:2016/05/18(水) 08:34:22
>>334-335
 その後、ハミルトンはリーグMVPを獲得するまでになる。実際、そうして薬物中毒から復帰して活躍した選手は少なくない。前出のパーカーは1990年オールスターに選ばれた。同じときに処分を受けたロニー・スミスは、1989年に「カムバック・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。もちろん、ロッド・スカリーのように薬物中毒から抜け出せず、コカインの過剰摂取による心臓発作で死亡したケースもあるが、大リーグ機構もアメリカの社会も、彼らを見つめる目は、決して批判的でなく、社会復帰を念頭に置いたものだ。

 現役時代、そして引退後に何度かコカインで陽性反応を示したダレル・ストロベリーという選手などは、薬物患者を救う側に回った。彼もまた1980年のドラフトでいの一番に指名されメッツ入り。1984年から8年連続でオールスターに選ばれたスーパースターだが、紆余曲折を経て2014年、2つ目の薬物中毒専門のリハビリセンターを開設している。自分が救われた経験を生かし、「同じように苦しむ人を救いたい」のだという。彼もまた、社会から排除されていたら、どうなっていたか。

 ちなみにそうしたリハビリセンターでは、どういうことが行われているのか。かつて、トム・ウィルヘルムセン(レンジャーズ)が、マリファナの陽性反応が出ると、当時所属していたブルーワーズから強制的に施設に送られたが、その様子を教えてくれた。

「毎日、朝食が終ると、グループごとに集まって、過去の過ちを共有する時間が設けられているんだ。家族を失った人の話も聞いた。仕事を失った人、ホームレスになった人もいた。そういう話をすることは、他人に危険性を伝えるというより、自分自身を晒すことで、過ちを自覚し、障害を乗り越えるという狙いがあるようだ。ただ、それよりきつかったのは、プライベートの時間だ。部屋にはルームメイトがいたが、完全なジャンキーだった。20歳ぐらい上かな。薬物中毒になるとこうなるのか、その恐怖と、彼と一緒にいる恐怖で、とにかく早く出たいと思っていた」

ウィルヘルムセンはその後、一旦は野球を辞めバーテンダーをしていたが、独立リーグから大リーグ復帰を目指すと、マリナーズでそれをかなえている。あの時もまた、彼が初めてメジャーのマウンドに上がると、スタンドからはスタンディングオベーションが沸き起こり、拍手が鳴り止まなかった。

 清原が今後、どう更生の道を歩むかはわからない。覚せい剤に対する社会的な制裁や捉え方に日米の社会で大きな違いがあることは確かだが、日本のトッププレーヤーがこぞって憧れて挑戦を続けているメジャーリーグには、薬物使用から更生した成功例がある。清原容疑者の更生の意思が強いならば、メジャーに習って野球界が、手を差しのべる必要があるのかもしれない。

(文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)


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