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Game全般

666とはずがたり:2018/08/06(月) 21:00:52
>>663-666
 ところが最初に私のアイデアを製品化しようとした人間は、ゲームをやるのなら画面は最低5センチ角は必要だという固定観念から離れられず、それを一生懸命追いかけてしまっていたんです。5センチ角ではどうしても値段が3万円、4万円の機械になってしまう。だから行き詰まって、「そんなもの誰が買うんだ」ということになっていました。

 私が、画面は切手大でいい、それでゲームはできるという話をしたらみんな信じてくれません。そこで週刊誌の写真を見せた。これは5センチ角ぐらいに感じるけれども、実際は2センチ角で、なおかつ十分見えるという説明をしたら納得してくれました。

 実はこういうところに開発のポイントがあります。

 もう一つ大事なことがあります。私の所属する開発第1部は、ハードもソフトも扱っていました。普通、大メーカーの開発部門は、ハードを作っています、ソフトは別部門が開発します。しかし、これは実に無駄なことを生じるのです。

 つまり、ハード屋はソフト屋のどんな注文にも応じられる機械をつくれば、いい機械ということになってしまうからです。

 となると実際にその製品が世に出た時に、ソフト屋が使わない部分がいっぱいついた製品が出てくることになりまず。さらにこれが贅肉となって、製品の価格を押し上げることにもなります。



《解説》横井氏が任天堂に残した、玩具メーカーならではのDNA
任天堂アーカイブプロジェクト代表・山崎功

 横井軍平氏が「伝説の開発者」と呼ばれ注目されるのは、ごく普通の会社員なのに数々のヒット商品を生み出し、「世界の任天堂」へと大躍進させたのはもちろん、彼の残した「枯れた技術の水平思考」という考えが、日本のモノづくりの原点を示しているからだ。

 メイド・イン・ジャパンは、かつて高機能と高品質でグローバル競争にも勝ち残れると自負してきたが、今ではそれが揺らぐ状況が起きていることは誰もが感じているだろう。

『ファミコン』で急成長した任天堂も、1990年代半ばにはソニーやセガとの熾烈なゲーム機販売競争を繰り広げ、成長の踊り場にいた。ゲームは驚異的なスピードで進化し、メーカーはゲーム好きな人たちの声に応えようと、高性能・大容量化の道を突き進んだ。その結果、複雑化するゲームについていけない人たちのゲーム離れが起き、ゲーム市場は縮小。

 そんな中、任天堂は10年ほど競った末にスペック競争から離脱し、もう一度遊びの原点に立ち返ることで、誰もが楽しめるゲームを目指した。『ニンテンドーDS』や『Wii』はこうして生まれ、幅広い年齢層の支持をうけ、任天堂を再びトップカンパニーへと導いた。元社長だった故・岩田聡(さとる)氏はその時の成功の秘訣を「枯れた技術の水平思考」であると明言している。


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