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Game全般

417名無しさん:2015/06/14(日) 22:20:42
>>416

ただ盤上に向かうのみ
 ――勝負は好きですか。

 「ああ(低く唸り)、どうなんでしょうねぇ、ええ・・・・・・あんまり、そういうことも考えないですね、もうね・・・・・・。いや、好きとか嫌いとか考えてもしようがないじゃないですか(笑)。だって、(対局は)あるんだし、どうせすぐやるんだし、ハハッハハッハハッ」

 ――対局中に痺れる瞬間というのは? 
 「やっぱり、こう・・・・・・一つの選択で全然違った道に進んでしまうということが、凄くあるんですよ。つまり、この一手を選んだらもの凄く攻め合いになるし、この一手を選んだらもの凄く長期戦になるといった、大きな分岐点があるので。そういう場面での選択というのは、非常に大きいなって感じます」

 ――そんな勝負に明け暮れて26年です。

 「意外と早かったですね。あんまり、26年も経ってるという感じはしないんです。気がついたら、もうそんなに経ってたのか、と。まあ、巡り合せがよかったとは思っています」

 ――将棋の神様はいると思いますか。

 「ああ・・・・・・将棋は有限のゲームで理論上は『答え』があるはずなので、それを神と定義すれば神はいる。でも、宗教的概念として神がいるとは思えません(笑)。おかしいでしょ、それ、既に、ハハッハハッ」

 ――では、自分が将棋の神に選ばれたとは? 
 そう聞くと、「ああ・・・・・・うん・・・・・・そうですねぇ、どうなんでしょうねぇ・・・・・・」と、羽生は真剣な面持ちでしばし考えてから言った。

 「まあ、突き詰めてもしようがないでしょう。確かに、目に見えない力を感じることはありますが、それを他力というので。それが何かわかったら自力じゃないですか(笑)」

 ――いつまで続くんでしょう。

 すると羽生にしては珍しく、少しぶっきら棒な口調で言った。

 「考えてもしようがないっしょ、もう」

 そうして、弾けるように笑ったのだ。
普通に、自然に。目的も、意味も求めず、考えず。ただ盤上に向かう・・・・・・ふと、こんなフレーズが浮かんだ。

 空っぽ、即ち、無心。

 勝負とは自我の張り合いである。時代を開拓し、全冠制覇しても勝ち続けて来た男には、その勝負に必要なはずの自我が見えない。だが、さらに言えば、勝負とは自我との闘いでもある。負けるときは、自滅するときだ。だから羽生は、盤上に没我する。柔らかな佇まいには、究極の勝負師の姿がある。

 それはかつての剣客たちを思わせる。多くの達人たちは、人を斬り捲り命のやりとりを続けたあげく、禅の世界に行き着く。

 敵の刀を素手で受け止める「無刀取り」を完成させた柳生石舟斎、勝負を争わず心胆を磨いて自然の勝ちを得る「無刀流」の山岡鉄舟、「空の剣」に達した宮本武蔵・・・・・・。一切の執着を捨て、宇宙の森羅万象に身をゆだねる天地自然という禅の理を得た彼らは、相手を殺すだけの「殺人刀」ではなく、相手を活かす「活人剣」こそ剣の理であるという『剣禅一如』を悟るのだ。自我を消し、相手と和するという境地は、羽生の考え、思想とも重なってくる。いや、もしかしたら、その上をいくのかも知れない。

 ・・・・以下、次回へつづく(次回の掲載は6月11日を予定しています)

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高川武将(Takagawa Takeyuki)
1966年東京都生まれ。新聞社、出版社を経て、フリーランスのルポライターに。スポーツを中心に『Number』等で骨太のノンフィクションを多数執筆。2010年の竜王戦から羽生善治の取材を続け各誌に寄稿している。
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