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Game全般

344名無しさん:2015/05/31(日) 21:31:24
>>343

人間の「美的感覚」は正しい?
 ソフト開発者にしても、プロ棋士にしても、その中心部、最先端でしのぎを削る人々が取り組んでいることは、到底素人には理解の及ばない世界である。

 実は、ファッションや家電におけるブランドも、同じ話である。パリ・コレで発表される作品は極めて突飛であり、デザイナーの意図を正確に理解できる一般人は、そんなにいない。しかし、ファッションや家電とは、最終的には身につけたり、生活に役立てるものなので、そういった接点があるがゆえの「とっかかりやすさ」があるのだ。

 幸か不幸か、将棋はそういった意味での実用性とは全く無縁である。機能性を極めた家電は、「使いやすくて、すごく便利」という、実感に則した理解が得られるのに対して、美しさを極めた棋譜があったとしても、審美眼を持たない人にはその価値は全く感じられない。

 逆に言えば、だからこそ将棋とは、素養を持ち、鍛錬を積んだ人にのみ許された、特権的で、高尚な趣味だったのである。

 「観る将棋ファン」とは口当たりのいい言葉だが、これは実は大いなる矛盾をはらんだ概念だ。にもかかわらず、ニコニコ動画とナビゲーター達は、「ズブの素人であっても、その背後にある物語を知ることで、それを消費することができる」という荒業でこれを成立させてしまった。

 問題は、プロの将棋指しという世界が、今後いかなる物語を紡いでいくかということだ。

 コンピュータ将棋は、対局というものさしだけに着目すれば、確かにプロ棋士に優る結果を残した。しかし、本質はそこではない。プロ棋士が直面しているのは、「指し手の性質や思考のアルゴリズムがあまりにも人間と異質である」ということだ。

 将棋というゲームは、その指し手の広さから、広大な海や宇宙に例えられる。その広い空間を一手一手さし進めるという行為は極めて茫洋としており、ハイレベルなゲームであればあるほど、局面には「わからなさ」が宿る。一寸不思議なようだが、このわからなさはプロ棋士にとってネガティブなものではない。むしろ、局面が難解であればあるほど、検討室の温度が上がっていくものである。

 「たった40枚、81マスの狭い中なのに、海の真ん中のような視界の開けた所で、あー広いな、人間て存在はちっちゃいな、とそういうことを感じる。人間では全然わからないなと」とは、羽生善治三冠の言葉である。

 様々なトップ棋士のインタビューから類推すると、茫洋とした局面で、棋士は「合理性のある指し手のなかには、強さと美しさが同時に宿る」という、ある種の「美的感覚」を拠り所にしている。もしそれが棋士にとって最大の拠り所なのだとしたら、コンピュータ将棋の主張する「美しさと強さには関係がない」という思想は極めて厄介である。

 最終局の中継にゲスト出演した渡辺明二冠はぶっきらぼうで、不機嫌そうに見えたが、その理由はここにあるのではないだろうか。

 開幕時の記者会見で、菅井竜也五段は「十年後には、プロ棋士が勝っている可能性もある」と発言した。確かに将棋ソフトを活用し、より強力な研究が行われた結果、そのような事が起きても不思議はない。

 そこで紡ぎだされる棋譜に美しさは宿るのだろうか、宿るとしたら、それはどのような言葉で語られ得るのだろうか。

 これはアカデミックな世界においても極めて重要な問題を投げかけるテーマだ。個人的には、そのような領域へと挑戦をする将棋の物語を見たいと思う。


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