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芸術・美術・音楽

1とはずがたり:2008/03/17(月) 16:29:22
アート全般

638とはずがたり:2016/10/16(日) 22:59:12

誰が音楽をタダにした? CDが売れない時代を作った張本人を発見
巨大産業をぶっ潰した男たち
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49774
スティーヴン・ウィット

僕は海賊版の世代だ。

1997年に大学に入った時、mp3なんて聞いたこともなかった。

初めての学期末に、2ギガバイトのハードドライブに海賊版の曲を何百と詰め込んだ。卒業する頃には、20ギガバイトのドライブ6台がぜんぶ満杯になった。

2005年にニューヨークに引っ越した頃には、1500ギガバイトの音楽を集めていた。アルバムにするとおよそ1万5000枚だ。再生待ちに1時間はかかったし、アーティストのアルファベット順に曲を並べ替えたら、ABBAからZZトップまで聞き終わるのに1年半はかかる計算だった。

僕はものすごい数の海賊版をダウンロードして、それをだれにも言わなかった。秘密を守るのは簡単だった。僕はレコード屋にも行かなかったし、パーティーでDJもしなかった。曲のファイルはチャットチャンネルで見つけたり、ナップスターとビットトレントを通して手に入れたりしていた。



数年前のある日、ものすごい数の曲をブラウジングしていた時、急に根本的な疑問が浮かんだ。ってか、この音楽ってみんなどこから来てるんだ? 

僕は答えを知らなかった。答えを探すうち、だれもそれを知らないことに気づいた。

もちろん、mp3やアップルやナップスターやパイレートベイについては詳しく報道されていたけれど、その発明者についてはほとんど語られていないし、実際に海賊行為をしている人たちについてはまったくなにも明かされていなかった。

僕はこの疑問に取りつかれ、調べていくうちに今まで知らなかった驚きの事実を発見しはじめた。

僕は、初めてのmp3海賊グループによる声明書を見つけた。ファイルが古すぎて、それを見るのにMS-DOSのエミュレータが必要だったくらいだ。

それから、最初のmp3エンコーダのシェアウェアのデモも見つけた。発明者たちも失くしたと思っていたものだ。

30年におよぶ海賊行為を記録した秘密のデータベースも見つけた。1982年以降、すべての主な海賊グループがリークしたソフトウェア、音楽、映画のリストがそこにあった。

ミクロネシアやコンゴの秘密のウェブサイトも見つけた。サイトの本当の持ち主はわからないが、パナマのペーパーカンパニーのもとに登録されていた。

数千枚もの裁判資料の中に埋もれていた盗聴記録やFBIの監視記録も見つけた。協力者の証言からは、人知れず進行していた世界的な陰謀の詳細が、つまびらかになっていた。

音楽の海賊行為はクラウドソーシングがもたらした現象だと僕は思い込んでいた。つまり、僕がダウンロードしたmp3は世界中のあちこちに散らばった人たちがそれぞれにアップロードしたものだとイメージしていた。そうしたバラバラのネットワークが意味のある形で組織されているとは思いもしなかった。

でもそれは間違っていた。ネット世界に住むどこかのだれかが、わからないところから持ってきたファイルもあったが、海賊版のmp3の大半は、少数の組織されたグループから発信されていた。

犯罪データ分析を使えば、だいたいmp3の発信源を突き止めることもできた。既存の調査報道の手法も取り入れることで、僕はさらにその範囲を絞ることができた。海賊ファイルの発信源を突き止めただけでなく、多くの場合はその日時や特定の個人を突き止めることもできた。

もちろん、本当の秘密はそこにある。インターネットは人でできている。海賊行為は社会現象だったし、どこを探せばいいかがわかれば、クラウドの中にいる個人も特定できるようになる。エンジニア、企業経営者、従業員、捜査員、犯罪者、働き疲れたサラリーマンなど、あらゆる人が加担していた。

639とはずがたり:2016/10/16(日) 22:59:37
>>638-639
僕はドイツから始めた。無名の発明家たちが、ビジネスに行き詰まり、なんとか生き延びようとして始めたことが、思いがけずグローバル産業を脅かすことになった。

その過程で、彼らは大金持ちになった。彼らはインタビューでは本音を明かさず、自分たちの生み出した混乱から距離を置こうとしていた。

時には彼らがわざと謙虚さを装っているようにさえ思えたが、僕はその成功をねたまずにいられなかった。何年間も音響研究室に自分を閉じ込めたあとで、彼らは世界を征服するテクノロジーを持って復活したのだから。

その後、ニューヨークに飛んだ僕は、ラップの世界市場を二度も席捲した70歳過ぎの有名な音楽業界のエグゼクティブに会った。

彼の業績はそれだけではなかった。調査を進めるうちに、彼自身がポップミュージックだということが見えてきた。スティーヴィー・ニックスからテイラー・スウィフトまで、この40年間に出てきたすべての大物アーティストに、彼はなんらかの形で関わっていた。

かつてないほど猛烈な違法コピーの氾濫に彼のビジネスも打撃を受けたけれど、彼は音楽業界と愛するアーティストを守るため果敢に闘った。僕から見ると、彼がライバルを出し抜いて成功を収めていたのは疑いようがないことだった。そのせいで、彼はこのところの音楽エグゼクティブの中で、だれよりも批判を集める存在になってしまった。

マンハッタンの高層ビルから、スコットランドヤードとFBI本部に僕は目を移した。そこでは、粘り強い捜査員のチームが、違法なデジタルコンテンツの発信源を時には何年もかけて追跡するという、だれにも感謝されない仕事を任されていた。

彼らのあとを追ってイギリス北部のアパートにたどり着いた僕は、究極の音楽オタクに出会うことになる。彼が持っていたデジタルライブラリーは、『バベルの図書館』を著したボルヘスでさえ感動させられるほどすごかった。

そこから飛んだシリコンバレーでは、ある起業家が世界をあっと言わせるテクノロジーを開発していたが、それをおカネにすることには完全に失敗していた。

そこから僕はアイオワに、それからロスに飛び、そしてまたニューヨークに戻り、ロンドン、サラソタ、オスロ、ボルティモア、東京に向かい、その後長い間行き詰まっていた。

そして、やっとノースカロライナの西にある田舎町にたどり着いた。一見、グローバルなテクノロジーや音楽の中心地からは遠く離れた、思いがけない場所だった。そこは、ぼろいバプティスト教会と無名企業しかないような、シェルビーという町だ。

この町で、ある男がほとんどだれとも関わりを持たずに、8年もの年月をかけて海賊音楽界で最強の男としての評判を揺るぎないものにしていた。

僕が入手したファイルの多くは、というかおそらくほとんどは、もともと彼から出たものだった。彼はインターネットの違法ファイルの「第一感染源」だったのに、彼の名前はほとんどだれにも知られていなかった。

僕は3年以上かけて彼に信頼してもらおうと必死で努力した。彼のお姉さんの農家の居間にお邪魔して、何時間も話し込んだ。

彼が教えてくれたのは、ありえないことだった。信じられないと思うこともあった。でも、すべての細かい事実に裏付けが取れ、僕はインタビューの最後にこう聞かずにいられなかった。

「なんでこのことを今までだれにも話さなかったんだ?」
「あぁ、だって聞かれなかったから」
(翻訳:関 美和)


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