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芸術・美術・音楽

639とはずがたり:2016/10/16(日) 22:59:37
>>638-639
僕はドイツから始めた。無名の発明家たちが、ビジネスに行き詰まり、なんとか生き延びようとして始めたことが、思いがけずグローバル産業を脅かすことになった。

その過程で、彼らは大金持ちになった。彼らはインタビューでは本音を明かさず、自分たちの生み出した混乱から距離を置こうとしていた。

時には彼らがわざと謙虚さを装っているようにさえ思えたが、僕はその成功をねたまずにいられなかった。何年間も音響研究室に自分を閉じ込めたあとで、彼らは世界を征服するテクノロジーを持って復活したのだから。

その後、ニューヨークに飛んだ僕は、ラップの世界市場を二度も席捲した70歳過ぎの有名な音楽業界のエグゼクティブに会った。

彼の業績はそれだけではなかった。調査を進めるうちに、彼自身がポップミュージックだということが見えてきた。スティーヴィー・ニックスからテイラー・スウィフトまで、この40年間に出てきたすべての大物アーティストに、彼はなんらかの形で関わっていた。

かつてないほど猛烈な違法コピーの氾濫に彼のビジネスも打撃を受けたけれど、彼は音楽業界と愛するアーティストを守るため果敢に闘った。僕から見ると、彼がライバルを出し抜いて成功を収めていたのは疑いようがないことだった。そのせいで、彼はこのところの音楽エグゼクティブの中で、だれよりも批判を集める存在になってしまった。

マンハッタンの高層ビルから、スコットランドヤードとFBI本部に僕は目を移した。そこでは、粘り強い捜査員のチームが、違法なデジタルコンテンツの発信源を時には何年もかけて追跡するという、だれにも感謝されない仕事を任されていた。

彼らのあとを追ってイギリス北部のアパートにたどり着いた僕は、究極の音楽オタクに出会うことになる。彼が持っていたデジタルライブラリーは、『バベルの図書館』を著したボルヘスでさえ感動させられるほどすごかった。

そこから飛んだシリコンバレーでは、ある起業家が世界をあっと言わせるテクノロジーを開発していたが、それをおカネにすることには完全に失敗していた。

そこから僕はアイオワに、それからロスに飛び、そしてまたニューヨークに戻り、ロンドン、サラソタ、オスロ、ボルティモア、東京に向かい、その後長い間行き詰まっていた。

そして、やっとノースカロライナの西にある田舎町にたどり着いた。一見、グローバルなテクノロジーや音楽の中心地からは遠く離れた、思いがけない場所だった。そこは、ぼろいバプティスト教会と無名企業しかないような、シェルビーという町だ。

この町で、ある男がほとんどだれとも関わりを持たずに、8年もの年月をかけて海賊音楽界で最強の男としての評判を揺るぎないものにしていた。

僕が入手したファイルの多くは、というかおそらくほとんどは、もともと彼から出たものだった。彼はインターネットの違法ファイルの「第一感染源」だったのに、彼の名前はほとんどだれにも知られていなかった。

僕は3年以上かけて彼に信頼してもらおうと必死で努力した。彼のお姉さんの農家の居間にお邪魔して、何時間も話し込んだ。

彼が教えてくれたのは、ありえないことだった。信じられないと思うこともあった。でも、すべての細かい事実に裏付けが取れ、僕はインタビューの最後にこう聞かずにいられなかった。

「なんでこのことを今までだれにも話さなかったんだ?」
「あぁ、だって聞かれなかったから」
(翻訳:関 美和)


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