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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

633とはずがたり:2020/12/30(水) 20:18:06
カビだらけの実験室、放置された薬品瓶…元研究所の「ヤバい廃墟」に潜入したら“闇”が深すぎた
鹿取 茂雄2020/12/29
https://bunshun.jp/articles/-/42594

その名も「バイオハザード研究所」ウィルス蔓延る危険廃墟を探索
2019年1月24日
https://www.itamiwake.com/biohazard-shigeta/

人里離れた県道沿いに堂々と立つこちらこそが件の廃墟、「バイオハザード研究所」です。

この廃墟は元々、製薬会社でした。動物の血液型を判定する薬を作っていたんだけど、その薬を許可なく販売していたため、薬事法違反で経営者が逮捕されたんだそうな。

さらに言うとこの会社の社長は、それ以前も輸血用の犬の血液を販売する会社を運営していて、その会社が倒産したときに数百匹の犬を放置して大きな問題になったとか。

そう、この会社、というかこの経営者、色々と疑惑が付きまとうのです。

この会社のことを調べると、インターネット上では様々な疑惑に関する情報が記載されています。特にヤベェのが、「鳥インフルエンザのウイルスをばら撒いて、敵対していた業者を潰したのでは?」という疑惑。

あくまでネット上の話だし、疑惑が浮かんだ理由も「鳥インフルエンザが話題になった後、すぐに対応するワクチンを宣伝した」みたいなものなので、信憑性としてはどうなんだろうくらいのものですが、犬を放置したり、薬事法に違反したりと前科があるのでさもありなん。

シゲタ動物薬品工業
https://haikyo.info/s/13946.html

1988年設立。2000年に「ブルー十字動物血液センター」から商号変更し、食品のDNA検査などを行っていた。

未承認の犬用血液型判定薬を販売したとして2007年11月に社長のN被告ら5人が逮捕され、2008年2月末に事務所を閉鎖、同年に倒産した。負債総額は約13億円とされる。

2008年5月22日に同社社長に対し、懲役1年6月・執行猶予4年、罰金100万円との地裁の判決が下された。

シゲタ動物薬品工業は閉鎖前の2007年5月、「カルタヘナ法」(遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律)に違反した組換え生物の使用に対する再発防止策を徹底するよう、文書で厳重注意を受けている。

シゲタ動物薬品工業およびその研究機関で同一住所の「人獣共通感染予防医学研究所(人獣研)」、関連団体だったらしい消費者団体「食の安全協会」「食の安全を守る会」が共謀し、養鶏農家にQ熱ワクチンを売りつけ、養鶏業界などとの間でトラブルになっている。「○○の鶏卵は危険」等の怪文書をスーパーなどにまき、鶏肉・鶏卵の不安を煽ってワクチンを販売していたらしい。

また、前身となったブルー十字動物血液センターは1997年4月、440頭の犬猫を置き去りにする事件を起こしている。

シゲタ動物薬品工業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B2%E3%82%BF%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%96%AC%E5%93%81%E5%B7%A5%E6%A5%AD

シゲタ動物薬品工業株式会社(シゲタどうぶつやくひんこうぎょう、英語: SHIGETA Animal Pharmaceuticals[2])は、富山県小矢部市にかつて存在した動物用医薬品の研究・開発・製造などを行なっていた企業である。

1984年に犬猫用血液型判定薬の製造販売を行う「株式会社ブルー十字」(本社:石川県金沢市)として設立された。

2000年3月9日に「株式会社ブルー十字」から商号を変更し、「シゲタ動物薬品工業株式会社」となる[4]。主力商品である動物用血液型判定薬、血液製剤の製造販売のみならず、バクテリアにより生ゴミなど有機性廃棄物を完全に分解することが可能な業務用廃棄物処理機「コビタン・ディスアピア」[5]の開発・販売や、DNA検査による食品の産地、原材料の特定[6]など幅広い事業を展開していた。また、モノクローナル抗体を用いた高精度の「シゲタ式」犬猫血液型分類法[7] の開発や、インドネシアのボゴール農科大学と共同で[1][8]高病原性鳥インフルエンザワクチン「H5N1型」の遺伝子組換えワクチン株の開発に世界で初めて成功するなど、独自の技術も多数保有しており、テレビ局や新聞社などの取材や検査依頼なども多かった。また、2007年9月6日から8日開催の「2007NEW環境展」の大阪会場にも参加していた[9]が同年11月に社長の西尾義行元被告ら5人が未承認の犬用血液型判定薬を販売したとして逮捕され[10][3]、2008年2月末に本社を閉鎖、同年に倒産した。負債総額は約13億円とされる。

なお社長らの逮捕前の2007年5月にも文部科学省から遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律に基づく適切な措置を執らずに遺伝子組換え生物等の使用をしていたとして千葉県がんセンター、国立大学法人広島大学とともに文書による厳重注意を受けている[11]。

現在本社跡地は立ち入り禁止となっており、建物内部に多くの薬品や機材が残された状態で放置されている。

634とはずがたり:2021/01/21(木) 12:41:25


赤岩とイラ窪で6軒程家があったか?

「列車が1本も停まらない駅」赤岩駅、3月12日に廃止 奥羽本線
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1439271704/3382

赤岩駅
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1439271704/3385

町庭坂(イラ窪)への道  《 熊に出会う》
http://www11.plala.or.jp/yamagutiya/page016.html

廃墟検索地図 イラ窪
https://haikyo.info/s/12737.html
1980年代の半ばに無人化した。
倒壊した廃屋が数軒見られる。

いにしえの道を歩く/廃村李平宿-2020-06-14
https://yamap.com/activities/6658756
明治になり、万世大路・奥羽線が開通し
大正時代に廃村になったそうです。


googleは大平迄入って入るが既にがらんとした人は殆ど住まず,畑が残ってるだけの土地っぽい。通いか。
https://www.google.co.jp/maps/@37.8082024,140.3439896,3a,75y,196.8h,79.43t/data=!3m6!1e1!3m4!1syC5UY83jbTIlSZtU4hLqNA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

635とはずがたり:2021/02/02(火) 23:52:35
穴だ!

https://www.google.co.jp/maps/@43.0896348,140.4652286,3a,69.6y,163.39h,90.6t/data=!3m7!1e1!3m5!1s2Q_gobWOcEK83Nd70ldM_A!2e0!6s%2F%2Fgeo1.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D2Q_gobWOcEK83Nd70ldM_A%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D106.25281%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

636とはずがたり:2021/02/10(水) 18:41:01

廃道への道

羽幌町 町道通行止箇所図
https://www.town.haboro.lg.jp/kurashi/kankyo/road/files/choudoutuukoudome.pdf

637とはずがたり:2021/03/28(日) 11:04:35

日足トンネルを通らずに旧道の細尾峠を越えてみた。恥ずかしながら足尾はてっきり群馬かと思ってたが日光市で吃驚した。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1375825803288604675

足尾は近年は下都賀郡(今の鹿沼市と日光市が主)に属していたが元々は今の佐野市が中心の安蘇郡に属していたそうだ。
足尾の栃木県内の通行はこの細尾峠(R122)の他,粕尾峠(r15)があるが,これは今の鹿沼市と通じており,いずれもその前は下都賀郡であるが,当時は粕尾ともう一筋南西,r199沿いの永野も安蘇郡だった様だ。これらが安蘇郡だと今の佐野市と接する(もう一筋南西のr200沿いの秋山)が現代の交通体系では川沿いになって寸断されていて,鹿沼よりも栃木市なんかと関係は深そうだが佐野市ではなさそうなのは理解出来る。(今でもr200からは林道大荷場木浦沢線を通じて鹿沼と繋がっているhttps://ashikaga-sano.goguynet.jp/2020/08/19/closed200/様だ。これが古いルートなのかも。グーグルhttps://www.google.co.jp/maps/@36.54748,139.507306,3a,90y,29.82h,88.98t/data=!3m7!1e1!3m5!1seteGLzL6WaFPuzg7Ldi1mQ!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DeteGLzL6WaFPuzg7Ldi1mQ%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D130.49799%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=jaにもしっかり載っている!!)

安蘇郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%98%87%E9%83%A1
上都賀郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%83%BD%E8%B3%80%E9%83%A1

一方,渡良瀬川を下ると山田郡大間々町と新田郡笠懸町と勢多郡東村の3郡3町村で対桐生で成立したみどり市(市町村合併ウオッチは熱心にやった心算だったがこの辺はぐちゃぐちゃの印象。桐生と合併せいぐらいにしか思ってなかったが3郡跨いだ3町村の合併だったとは・・)だが古くからの街である大間々と新興の笠懸を主軸とした町である。

わたらせ渓谷鉄道(足尾線)は主に勢多郡沿いにあったようだ(東村[花輪・神戸・沢入]や大間々町と合併した神梅・塩沢)。この勢多郡は赤城山の周辺であるが,明治期二つに分割されて北勢多郡は利根郡と合併して利根郡に,南勢多郡は東群馬郡と合併して勢多郡になったようだ。

いずれにしても行政区画は入り交じり交通手段などの変更を経て変更されてきているようだ。

南勢多郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8B%A2%E5%A4%9A%E9%83%A1

639とはずがたり:2021/03/28(日) 11:07:39

日足トンネルを通らずに旧道の細尾峠を越えてみた。恥ずかしながら足尾はてっきり群馬かと思ってたが日光市で吃驚した。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1375825803288604675

足尾は近年は下都賀郡(今の鹿沼市と日光市が主)に属していたが元々は今の佐野市が中心の安蘇郡に属していたそうだ。
足尾の栃木県内の通行はこの細尾峠(R122)の他,粕尾峠(r15)があるが,これは今の鹿沼市と通じており,いずれもその前は下都賀郡であるが,当時は粕尾ともう一筋南西,r199沿いの永野も安蘇郡だった様だ。これらが安蘇郡だと今の佐野市と接する(もう一筋南西のr200沿いの秋山)が現代の交通体系では川沿いになって寸断されていて,鹿沼よりも栃木市なんかと関係は深そうだが佐野市ではなさそうなのは理解出来る。
(今でもr200からは林道大荷場木浦沢線を通じて鹿沼と繋がっているhttps://ashikaga-sano.goguynet.jp/2020/08/19/closed200/様だ。これが古いルートなのかも。https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.29.47.063N36.35.42.917/zoom/8/の他グーグルにも(ストビューも!)しっかり載っている!!)

安蘇郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%98%87%E9%83%A1
上都賀郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%83%BD%E8%B3%80%E9%83%A1

640とはずがたり:2021/03/28(日) 11:08:17
>>639
一方,渡良瀬川を下ると山田郡大間々町と新田郡笠懸町と勢多郡東村の3郡3町村で対桐生で成立したみどり市(市町村合併ウオッチは熱心にやった心算だったがこの辺はぐちゃぐちゃの印象。桐生と合併せいぐらいにしか思ってなかったが3郡跨いだ3町村の合併だったとは・・)だが古くからの街である大間々と新興の笠懸を主軸とした町である。

わたらせ渓谷鉄道(足尾線)は主に勢多郡沿いにあったようだ(東村[花輪・神戸・沢入]や大間々町と合併した神梅・塩沢)。この勢多郡は赤城山の周辺であるが,明治期二つに分割されて北勢多郡は利根郡と合併して利根郡に,南勢多郡は東群馬郡と合併して勢多郡になったようだ。

いずれにしても行政区画は入り交じり交通手段などの変更を経て変更されてきているようだ。

南勢多郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8B%A2%E5%A4%9A%E9%83%A1

641とはずがたり:2021/03/28(日) 12:12:37
>>638-639
年譜

江戸時代 江戸時代の後期に発見された足尾銅山で採掘された銅を、利根川水系まで運ぶために開通した街道が122号の前身
1877(M10)閉山同然となっていた足尾銅山に古河市兵衛が経営に参画
1878(M11)安蘇郡足尾町=佐野方面(●今のr15鹿沼足尾線・林道大荷場木浦沢線・r200秋山葛生線で連絡か?)
1881(M14)足尾銅山で有力な鉱脈を発見
1884(M17)増大する精錬処理に対応する為に現在の場所に集約した(足尾銅山の風景)→●1881の鉱脈発見に伴うものだろう
1889(M22)町村制施行・下都賀郡足尾町=日光方面(R122細尾峠)・鹿沼というか栃木方面(r15粕尾峠)と往来
1891(M24)田中正造,国会で足尾銅山の鉱毒を告発
1905(M38)市兵衛の死後,足尾銅山は古河鉱業の経営となる。
1906(M39)足尾銅山日光電気精錬所操業開始・索道で運んだ(wiki日足)とのことなので●これに併せて索道開通したのだろう
1912(T元)12月足尾鉄道が沢入〜足尾を開業させる。 翌1913.10,国が借り入れ足尾線と改称。更に翌14.8足尾〜足尾本山開業。
1918(T7)6月買収,国有化
1920(T9)足尾銅山日光電気精銅所は古河電工として分離→●足尾線の国有化によって日光(清滝)と足尾に分かれてた精錬だがこちらは古河電工として分離した形か?小松(1981)にも「当所は,操業以来,古河鉱業その他の製錬所から粗銅の供給を受ける委託製錬所であり,能力増強後の現在において も委託 に加え自社購入粗銅の製錬を行なつており,鉱石から一貫した生産を行なう一般の製錬所と根本的に異なつている。」としている。
1972(S47)古河電工の日光電気精銅所として分離
1973(S48)足尾銅山閉山
1978(S53)日足トンネル開通
1989(H元)国鉄足尾線の貨物輸送廃止以降,海外からの輸入鉱石による製錬を停止(wiki足尾銅山)。休止同然だった間藤〜足尾本山はわたらせ渓谷鐵道の未成線となる(wiki足尾線)。微妙に記述がズレてる感じがするが●国鉄足尾線末期には鉱石輸送も低調だったのだろう。わた鉄は足尾の精錬事業の貨物を宛てにして発足したけど輸送が終わってしまって苦悩している樽見鉄道パターンかと思ってたけど違う(最初から輸送はしてなかった)様だ。硫酸とかトラックでは高コストの危険物を輸送してたんちゃうのか。

足尾銅山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%8A%85%E5%B1%B1
小松新樹「日光電気精銅所における銅精錬」日本鉱業会誌1981
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigentosozai1953/97/1122/97_1122_624/_pdf/-char/ja
足尾精錬所のある風景
http://shorebook.jp/ashi/kinsan33sei1.html
わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(足尾線)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%9B%E6%B8%93%E8%B0%B7%E9%90%B5%E9%81%93%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%9B%E6%B8%93%E8%B0%B7%E7%B7%9A
国道122号線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93122%E5%8F%B7
日足トンネル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%B6%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

642とはずがたり:2021/03/28(日) 12:37:46
>>629

因美南線那岐駅の向こうのr6とr295も似た様な通行止めだった。

https://twitter.com/tohazugatali1/status/1373127683953938434

岡山県道・鳥取県道6号津山智頭八東線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%93%E3%83%BB%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E9%81%936%E5%8F%B7%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E6%99%BA%E9%A0%AD%E5%85%AB%E6%9D%B1%E7%B7%9A

鳥取県道295号西宇塚那岐停車場線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E9%81%93295%E5%8F%B7%E8%A5%BF%E5%AE%87%E5%A1%9A%E9%82%A3%E5%B2%90%E5%81%9C%E8%BB%8A%E5%A0%B4%E7%B7%9A

643荷主研究者:2021/03/29(月) 23:09:56

https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/280094
2021/03/15 09:00 上毛新聞
《幻の集落 根利山の軌跡》群馬・栃木県境にかつて3千人以上の村

木材などを運んだ索道の本線入り口(沼田市提供)

砥沢の集落で行われた盆踊り=1930(昭和5)年(沼田市提供)

砥沢にあった大工小屋の石垣(右)と事務所の石垣(左)。真ん中を鉄索が通っていた(沼田市提供)

◎役割―足尾銅山を林業で支える

 そこにはかつて、美しい村が存在した―。

 旧利根村(現群馬県沼田市利根町)と栃木県境に位置し、日本百名山の一つに数えられる「皇海山」西麓一帯。山の南西面の谷々は深く、いくつもの清流が険しい沢を刻む。そんな深山幽谷の地に「根利ねり山」はあった。

 1898(明治31)年、足尾銅山(栃木県)の木材資源の供給地として、古河鉱業が根利林業所を開設した。鉱山事業には膨大な木材が不可欠。当時、同社は鉱毒問題を抱えていたが、足尾全山の坑道をつなぐ動脈が完成するなど鉱山経営は転機を迎えていた。

 同社が本県に林業所を置いたのには訳がある。明治20年代に入り、銅山周辺の山は木材が枯渇し始めた上に山火事も発生、山林が荒廃を極めたからだ。新たな資源を求めて開設した同林業所を拠点に、作業区域は根利国有林の一部と、以前から同社が所有していた平川山林の大森林地帯に及んだ。

 根利山は、足尾銅山で使う木材を切り出すための従業員と、その家族によって造られた集落の総称だ。砥沢、平滝という二つの大きな集落があり、林業の最盛期には3千人以上が暮らしていた。

 ロープウエーのような本格的な空中ケーブルを使った鉄索技術が導入された。総延長は2万7千メートル。この索道は多くの木材を運搬しただけでなく、住民の生活物資を足尾から届ける生命線だった。

 根利山は明治、大正、昭和と日本の近代化の一翼を担った足尾銅山の繁栄を支え、1939年に閉山。戦後の木材需要の高まりに伴い、古河鉱業から三陸木材工業に一部の山林が売却されると51年から再び開発が進められ、平滝が復活し、64年まで存在した。
    ◇   ◇    
 沼田市歴史資料館は4日から1カ月間、根利山の軌跡を紹介する企画展を開く。閉山から約60年。歴史や文化、当時の暮らしをたどり、役割を見つめ直す。

◎生活―足尾から物資で営み豊か

 根利山には宿舎のほか、神社や寺院、診療所、映画館などさまざまな施設があった。奥深い山の中でありながら、当時の最先端の文明が足尾(栃木県)から入ってきたため、生活に不自由はなく、鉄道が引かれていない沼田よりもはるかに近代化されていた。

 毎日の暮らしに必要な米やみそ、しょうゆ、塩、酒、油など多くの生活物資は足尾から索道で届いた。タラコやサンマ、サケなどの海産物もたるや箱で運ばれ、新聞や雑誌、郵便も毎日届いた。日用雑貨類やたばこなどは、村で唯一の商店が扱っていた。当時は無医村が多かったが、砥沢と平滝には医師が常勤する医局が置かれ、駐在巡査もいた。

 大人の生活のためという都合でこの地に暮らした子どもたちにとって、課題となったのが教育だという。砥沢と平滝には1909(明治42)年に小学校が設けられ、児童は最も多いときで砥沢147人(20年)、平滝162人(19年)が在籍していた。

 山の四季の移ろいは美しい。春になると雪を割ってフキノトウが顔を出し、マンサクやネコヤナギが山の道に彩りを添えた。伸びる日脚とともに雪が消え、木の芽がふくらむ4月下旬には、住民が一年で最も楽しみにする山神祭が行われた。

 村の中心を通る道路にはアーチやあんどん、ぼんぼり、造花が飾られ、大きなのぼりがはためいた。音楽隊や仮装行列、沼田からやってきた屋台も並び、子どもたちが歓声を上げた。獅子舞の奉納では住民が村の安全を願った。

 夏は7月15、16日の盆踊りが最大の行事。広場にやぐらを建て、老若男女が浴衣姿で盛大に踊った。秋は小学校の校庭で、学校や青年団など住民合同の運動会が行われた。

 9月末から10月中旬にかけて紅葉が見頃に。10月が終わる頃には木枯らしが吹き始め、時雨から雪に変わる。辺り一面がゲレンデと化し、お手製のスキーで原生林を滑るのも楽しみの一つだった。

644荷主研究者:2021/03/29(月) 23:11:12
>>643-644 続き

◎未来―“別天地”の記憶を後世に

 根利林業所は1939年に閉鎖された。理由は、足尾銅山(栃木県)の衰退に伴い、伐採の必要性が減少したからだ。当時、住民の出身地は、本県をはじめ、足尾などの栃木県、富山県、石川県など多岐にわたっていた。閉山後は近隣の里で新しい生活を始める人、遠く離れた土地に移る人とさまざまだった。

 67年、根利山で暮らしていた人たちは「根利山会」をつくった。毎年8月3日に集まり、先祖の墓参りのため山を訪問。定期的に会報「皇海」を発行するなど、長年にわたり、失われた古里をよりどころにした。だが、徐々に高齢化で現地入りが不可能になり、2005年に解散した。

 根利山の歴史、文化、住民の暮らしぶりを後世に残そうという動きは多方面に広がった。03年には、ダム建設中止に伴って閉鎖された水資源開発公団栗原川ダム調査所と、旧利根村、村教委が協力して現地調査を進め、本にまとめたこともあった。

 皇海山登山口近くの道なき道を2時間ほど進むと、砥沢の集落跡につながる。根利山会が拠点とした手作りの小屋「皇海荘」のほか、土場の石垣、住居や学校の跡など、人々が確かに暮らした痕跡が皇海山の麓に眠っている。10年ほど前まで市民有志らが訪れていたが、崖崩れや雪崩などの影響で現在は山道を通ることはできないという。

 利根村の記録には、根利山を、俗世から離れた世界を意味する別天地とする記述も残る。「今は語り継ぐ人もいなくなり、根利山のことを知る人はほとんどいない。機運が高まれば、山道や跡地が整備され、観光地など何らかの形で“復活”することもあるのでは」。沼田市歴史資料館の高山正館長は、開催中の企画展「足尾銅山を支えた根利山」の意義を語る。

 会場に並ぶ写真や住民たちの声は、消えた集落に再び光をともすだろう。根利山は「幻の集落」と呼ばれたが、人々が絆を強め、生きた証しは決して幻ではない。

(沼田支局・堀口純が担当しました)

645とはずがたり:2021/04/07(水) 00:08:29
営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
https://goworkship.com/magazine/niche-onlyone-7/

646とはずがたり:2021/04/10(土) 21:16:38
>>615

明神の森再訪。
今日は上まで登ってみたが封鎖されていた。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1380800207005249541

647とはずがたり:2021/04/10(土) 22:37:10
土倉鉱山(銅)跡
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1380738824486019075

http://lenin.jp/~maekawa/mine/tutikura/tutikura.html
県内唯一の、銅、硫化鉄、少量の金・銀、 微量の鉛を産出していた。

どうやって選鉱場から搬出してたんだ??

国鉄バスが木之本から走ってたそうだから鉄道敷設の計画あったのか?
http://www.ken-tmr.com/tutikura-kozan2018/tutikurakozan.html

648荷主研究者:2021/04/11(日) 22:01:02

https://this.kiji.is/747271007038373888?c=75768590128873475
2021/3/24 05:30神戸新聞NEXT
かつてのドル箱「波賀森林鉄道」今も山中に遺構 復活を夢見る大人たち

往時の波賀森林鉄道を復活させようとする「波賀元気づくりネットワーク協議会」のメンバーたち=フォレストステーション波賀

木材を積んで走る波賀森林鉄道のトロッコ(宍粟市提供)

 鉄道路線がない兵庫県宍粟市に、かつて“ドル箱”と称される「鉄道」が走っていた。住民の暮らしや地域の発展を支えた「波賀森林鉄道」。国有林から切り出した良質な木材を運び、最盛期には総延長約40〜50キロに達したという。廃線となって半世紀以上が経過した今も山中に遺構が残り、往時のにぎわいを静かに伝える。そして今、森林鉄道を復活させようと夢見る大人たちがいる。(村上晃宏)

 波賀総合スポーツ公園「メイプルスタジアム」(同市波賀町有賀)は、今でも地域住民から親しみを込めて「土場(どば)」と呼ばれる。森林鉄道で山奥から集めた木材の一大集積場「上野貯木場」だった。土場で木材が入札に掛けられ、主に阪神間へと運ばれた。

 森林鉄道の建設は国内の木材需要の拡大を背景に、国の旧営林署が手掛けた。最初は1916(大正5)年、引原ダムの人工湖「音水湖(おんずいこ)」付近に整備された約2・0キロの音水線。当初は牛や馬などでトロッコを引いたが、次第に蒸気機関車などに変わった。

 24(同13)年に音水湖付近から上野貯木場までを結ぶ幹線が建設され、鉄道網の基礎が完成。音水▽中音水▽赤西▽万ケ谷▽カンカケ▽上野▽坂の谷-の「路線」が市内に整備された。

 森林鉄道には、蒸気機関車など動力を持った車両が運材台車をけん引する「鉄道」と、台車の重さで下り坂を自走する「軌道」があった。一部では、木材を載せたトロッコごとワイヤでつり上げ、ロープウエーのように空中輸送もした。

 ただ安全技術が未発達で脱線や転覆事故が絶えなかった。昭和30年代初め頃から安全性が高く効率の良いトラック輸送に変わり、各路線は廃止されて林道に変わっていった。

 最後まで残っていた中音水線の廃止が決まり、1968(昭和43)年7月15日には「閉鉄式」が執り行われた。機関車は警笛を鳴らしながら3両のトロッコとともに山を下っていった。


    ◆   ◆

 林業を支えた波賀森林鉄道は、住民の暮らしとも一体だった。

 上野貯木場には旧営林署の官舎が設けられ、職員とその家族が住んで「まち」が形成されていた。子どもたちは丸太が積まれた場所でかくれんぼをしたり、トロッコを押して遊んだりしたという。

 同官舎で生まれ、20歳まで住んでいた岡本豊さん(65)=宍粟市=は「いつも土場で遊びよったなぁ」と懐かしむ。

 毎年10月14日には、安全を祈願する「山の神の祭り」を開催。官舎の家族が機関車に乗って外出する慰安旅行や盆踊りなどもあった。土場では大人たちが歌っていた「ヨイトコンヤレー、ヨイトコンヤレー」の掛け声が響いていたという。

649とはずがたり:2021/04/11(日) 22:10:46
凄そう。googleで見ても今畑聚落跡・入谷聚落跡・向之倉聚落跡など一杯廃村らしきものがある。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2666182,136.3329297,15z?hl=ja

https://twitter.com/shoki_sigure/status/1381208555584245770
shoki@酷険道
@shoki_sigure
返信先:
@AudiTT_223
さん
男鬼までの路面確認してきましたが八百津ダートといい勝負します!ほぼ全面舗装ですが幅が狭く、廃道区間のように枯葉や枝が敷き詰められてますw
落合集落?男鬼の区間がズバ抜けてやばいので男鬼峠から来て引き返せばまだ安全かと…w

650とはずがたり:2021/04/12(月) 00:20:30
>>647

土倉鉱山。日窒鉱業が経営してたそうな。
http://haikyorou.pro.tok2.com/tutikura.html
『トワイライトゾーンマニュアル7』所収の「昭和32年専用線一覧」に拠ると北陸本線木ノ本駅に日窒工業の専用線があった。

八草峠(今は廃道同然の旧峠道)を越えて運んだなんて記述もどっかで目にしたがそれは誤りで此処は素直に北陸本線迄運んだとみて良さそう。

昭和39年の交通公社『時刻表』に拠ると国鉄バスは若江線。浜大津や米原,小浜,敦賀辺りを縦横無尽に結んでいる。特に土倉へ伸ばす予定は無さそうだった様子。。

https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/019/937/83/N000/000/001/145598617397772420177.png

651とはずがたり:2021/04/12(月) 10:38:14
>>647>>650
おお,この頁詳しい。岩内線国富駅の専用線迄絡んでるとは!!!S32では国富にあるのは住友金属鉱山。佐賀関は勿論日本鉱業で,日窒はあちこちに鉱物出荷してたんだな。

ヤンマーの工場は駅の西側に拡がって居る。

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-741.html?sp
日窒鉱業土倉鉱業所→ヤンマーディーゼル木之本工場専用線(北陸本線木ノ本駅)
専用線跡
2018/09/2422:33 0 0
日窒鉱業土倉鉱業所の索道から鉱石を積替えていた専用線。
鉱山は1965(昭和40)年に閉山になりますが2年後の1967(昭和42)年9月には同じ土地にヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)木之本工場が竣工しています。
鉱山時代は選鉱された黄銅鉱や黄鉄鉱の精錬所へ積出しや鉱山で使用する資材の到着に使われていたようです。
この専用線や索道ができる前に鉱山から馬車で隣の中ノ郷駅へ鉱石を輸送していた頃から出荷先の精錬所はばらばらだったようで北海道の国富精錬所(敦賀港〜小樽は船舶輸送、小樽から函館本線経由、旧・岩内線国富駅より専用線が分岐)や大分県の日鉱佐賀関(関西から船舶輸送か)など非常に遠くまで送られていました。

2018(平成30)年9月26日追記
土倉鉱山が日窒鉱業の手に渡り1934(昭和9)年11月に土倉〜木ノ本13,201mの架空索道が開業。
翌1935(昭和10)年2月には木ノ本駅に隣接して木之本硫酸工場を起工、1937(昭和12)年2月に操業開始しています。
この工場では土倉鉱山から索道で送られてくる黄鉄鉱、黄銅鉱から硫酸を精製していたようですが1943(昭和18)年5月に解体とのこと。
戦後の航空写真を見ると日窒鉱業の敷地が広い割にガランとしてるのはプラント跡地となっていたためのようです。
kinomoto_p.jpg
硫酸を生成した後の銅は敦賀港まで貨車で運び当時日窒の本拠地だった朝鮮半島の日窒鉱業興南精錬所(現・朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)へ送って製錬していました。
ヤンマーディーゼルになった後は現在までトラクターを生産していますが専用線は原材料の到着か製品出荷に使っていたものと思われます。

652とはずがたり:2021/04/12(月) 17:28:58
なかなかよさげな感じ☆
https://www.google.co.jp/maps/@35.2685435,136.3396436,15z?hl=ja
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.272348/136.327254/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

https://twitter.com/shoki_sigure/status/1381208555584245770
shoki@酷険道
@shoki_sigure
返信先:
@AudiTT_223
さん
男鬼までの路面確認してきましたが八百津ダートといい勝負します!ほぼ全面舗装ですが幅が狭く、廃道区間のように枯葉や枝が敷き詰められてますw
落合集落?男鬼の区間がズバ抜けてやばいので男鬼峠から来て引き返せばまだ安全かと…w

653とはずがたり:2021/04/26(月) 11:09:03

野迫川村道上垣内立里線(一部未成)
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1386502148939153416

654とはずがたり:2021/04/26(月) 12:45:39

国道774さんの
大入
https://drive.google.com/file/d/1js32eOvR10NXJbiPrH4BaMgB5-MR8q5y/view

655とはずがたり:2021/04/30(金) 20:40:34
なんと,r235から高野辻を経て殿野へ自動車で抜けられるのか!?手許のマップル(2014年版)では点線となっている。

で,なんとストビューだとr235の画像は無いのに殿野経由はある。。

旧大塔村集落探索Vol3
2015-07-26 14:50:07
https://ameblo.jp/hannkyuuikeda/entry-12511024723.html

https://www.google.co.jp/maps/@34.1715489,135.7935227,3a,75y,240.88h,82.65t/data=!3m7!1e1!3m5!1sSgv_WWepNRDMAT0oaalvRA!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DSgv_WWepNRDMAT0oaalvRA%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D166.52002%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja

656とはずがたり:2021/04/30(金) 21:24:35

(;´Д`)はあはあ
大見尾越って云う訳でもう飯何杯でもいけるww

林道久多尾越線
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-891.html

657とはずがたり:2021/04/30(金) 23:13:33

夏焼ってだけでもう飯なんばいでも。。

【散策日記 #2】秘境、夏焼集落を訪ねて【Walk Diary #2】Unexplored area "Natsuyaki" village.
https://www.youtube.com/watch?v=YEQL66HU2HE
156,003 回視聴
•2019/06/15

658とはずがたり:2021/05/02(日) 17:57:12
伏越集落を探す【消滅集落の民家・廃村】(奈良県葛城市伏越)Katsuragi City Fushigoe, Nara Japan
3,243 回視聴?2021/05/01
https://www.youtube.com/watch?v=uejde1xdbTI
ミトラの風景 mitra Landscape

>奈良県葛城市に岩橋山という山があり、兵家という場所にかつて伏越集落が存在した。
>現在は一軒しか残っていないが1970年代には山全体が農地になっていて、10軒ほどの民家があった。

兵家と岩橋山はここ
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.41.41.752N34.29.44.926/zoom/9/

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92639-2154+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E8%91%9B%E5%9F%8E%E5%B8%82%E5%85%B5%E5%AE%B6/@34.4992389,135.6841078,15.19z/data=!4m5!3m4!1s0x60012c6968e0ee7f:0xd3ab6e68fcf35b7!8m2!3d34.497881!4d135.6929052?hl=ja

村影氏によるとこれ
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/29.Nara/Taima_Fushigoe.html
>集落入口には神社 石柱には「春日神社遥拝所」とある
>町史によると、当地は兵家の枝郷。元和の検地帳では30戸と記されているが、過疎化により現在は2戸となっているとある

棚機神社脇からお隣竹内のr704に抜ける道があるようだがそれ沿いに聚落はあった模様。

659とはずがたり:2021/05/02(日) 23:15:58
>>526

大和索道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%B4%A2%E9%81%93

大和索道株式会社(やまとさくどう)は、かつて存在した物資専用索道会社。奈良県五條市と吉野郡大塔村阪本(今の五條市大塔町阪本)および野迫川村紫園とを結んだ。索道は単線式であった。

吉野郡方面の物資の集散拠点であった五條の町が、より多くの貨物を集めることを狙い、地元の有力者たちが物流手段として構想した。通常の鉄道を建設することは峻険な地形の点から見て到底困難であったことから、当時日本では前例のほとんどなかった架空索道(ロープウェイ)を選ぶことになった。これにはジェームスモリソン商会の大阪支配人である石田美喜蔵の売り込みによるものであったという。石田は取扱い商品の中でロー式単線自動循環式索道に注目しこれを山間地輸送用に普及させようとしていた。このためイギリスへの発注、計画、設計、出願から開業に至るまで石田が取り仕切ったという。まもなく石田は独立し安全索道を設立する[1]。1907年(明治40年)にこの計画を奈良県に出願したが、県にも知識がなかったため許可は遅れ、1910年(明治43年)にようやく許可が得られ、翌年大和索道が発足した[2]。

1911年(明治44年)に第1期区間が着工され、1912年(明治45年)5月26日に、今の五條市二見の国鉄川端駅から富貴村(今の和歌山県伊都郡高野町西富貴・東富貴)まで8.8キロメートルが開通した。1917年(大正6年)6月27日には7.2キロメートル延長して富貴村から天辻を越えて大塔村阪本まで達し、合計して16キロメートルの索道となった。五條市二見からは生活物資(食料の他、燃料、大豆、苦塩水、肥料、雑貨など)が運び込まれ、富貴村や大塔村などからは木材や特産品の凍り豆腐が運び出された。この索道が盛んに使われていた大正9年10月1日から翌年3月31日までの半年間の輸送量は阪本方面へは553,162貫(=約2,074トン、1日あたり約11トン)、二見方面へは749,807貫(=約2,811トン。1日あたり約15トン)にも及んだ。

1922年(大正11年)に途中の峠にトンネル(天辻隧道・とは註:今も残る旧道の方)が開通し自動車の通れる道路が改修されたことから、大塔村までトラックやバスの運行が開始されて大和索道は大きな影響を受けることになった。第二次世界大戦中、野迫川村の立里鉱山の鉱石運搬の必要から、1944年(昭和19年)に阪本から野迫川村紫園まで3.76キロメートル延長された。以降はほぼ鉱山輸送専用の索道であった。1957年(昭和32年)により優れた自動車道路が開通(とは註:現天辻隧道だろう)したことからトラック輸送へと切り替わり、1960年(S35)頃に索道は廃止となった。また鉱山も同じころに閉山となった。(川端駅そのものは1982年(S57)10月1日に廃止)

川端駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E9%A7%85_(%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C)

駅が開設された目的であった吉野材の輸送に関しては、従来紀ノ川をいかだに組んで流して河口の和歌山から船で送られていた。しかし吉野の産地と大阪の需要者が直接取引を行うために輸送路が求められるようになり、川端駅が設置されたことでここが水陸輸送の連絡点となった。貨車の配車がすぐに行われるとは限らなかったため、1905年(明治38年)1月には貯木場が建設されて、以降急激に出荷量が増加していくことになった。後に吉野鉄道(近鉄吉野線)が開通すると、そちらを経由した直接輸送も行われるようになった。

この頃、五條はもともと紀ノ川流域の集散地として栄えたこともあり、五條の南側にある吉野郡各村からの物資集散をさらに増やせないかという考えが有力者の中で生じていた。そのためには、川端駅からさらに南側へ鉄道を延長して、大塔村阪本(現在の五條市大塔町阪本)あたりまで伸ばせればよいのであるが、峻険な地形のために実際にはこれはほとんど実現不可能であった。そこで、架空索道(ロープウェイ)を建設して貨物輸送のみでも結び付けられないか、という構想が生じることになった[15]。1907年(明治40年)にこの計画を奈良県に出願した
当時日本では索道利用の前例がほとんどなく(とは註:川根電気索道http://www15.plala.or.jp/yai/setogawa/sakudou.htmlは1926年(T15),この辺の先進性が判るなあ・・)県にも知識がなかったため許可は遅れ、1910年(明治43年)にようやく許可が得られた[16]。これにより大和索道が設立され、1911年(明治44年)に着工され第1期の二見川端 - 富貴間8.8 kmが1912年(明治45年)5月26日に開通した[17]。さらに1917年(大正6年)6月27日には富貴 - 阪本7.2 kmが開通して全線16 kmで運転が開始され、従来数日はかかっていた貨物輸送をわずか2時間40分に短縮し、費用は3分の1から5分の1になり、沿線の住民にも大きな利益をもたらした[18]。

660とはずがたり:2021/05/04(火) 22:32:16
>>653
林道ホラ谷立里線(建設中)
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1386512231232245773

661とはずがたり:2021/05/05(水) 13:48:20
神童子川沿いの林道
林道神童子谷線というらしい
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1389798307715715073

662とはずがたり:2021/05/05(水) 22:09:03
十津川村大字池穴字中原(なかばら)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/29.Nara/Totsukawa_Nakabara.html

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.47.16.034N34.0.45.254/zoom/10/

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92637-1215+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%90%89%E9%87%8E%E9%83%A1%E5%8D%81%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E6%9D%91%E6%B1%A0%E7%A9%B4/@34.0154069,135.783952,348m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6006f0f348c58215:0x2fd41d12a794d8d!8m2!3d34.0183287!4d135.7757965?hl=ja

https://www.youtube.com/watch?v=vOVL2fjC588

663とはずがたり:2021/05/06(木) 20:36:00
廃村だらけ。。
滋賀県道17号不通区間 調査報告書 はなかなか詳細

【近江鈴鹿】男鬼山と廃村探訪 2019/4/17
https://teppan.blog.ss-blog.jp/2019-04-24

落合(霊仙)
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.21.21.756N35.15.52.578/zoom/9/
https://www.google.co.jp/maps/search/%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%B8%82%E8%90%BD%E5%90%88/@35.2652161,136.345403,14.75z?hl=ja

男鬼
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.20.19.130N35.16.2.330/zoom/9/
https://www.google.co.jp/maps/@35.270664,136.3356399,3a,75y,130.69h,80.55t/data=!3m7!1e1!3m5!1s0a0slymCIvHK1oVoPEcCEA!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3D0a0slymCIvHK1oVoPEcCEA%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D192.18045%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja

武奈
https://www.google.co.jp/maps/@35.2801993,136.3381162,150m/data=!3m1!1e3?hl=ja

今畑・入谷
https://www.google.co.jp/maps/@35.2621294,136.3529094,849m/data=!3m1!1e3?hl=ja

【酷道 険道】廃村街道?滋賀県道17号を行けるとこまで行く【モトブログ】大人のバイク NC700 インテグラ
https://www.youtube.com/watch?v=crMpSfDBXt0

滋賀県道完全走破 17号多賀醒井線
https://www.youtube.com/watch?v=F4caub83J3s

2016年05月18日
滋賀県道17号不通区間 調査報告書 Part1
https://serow353.naturum.ne.jp/e2718687.html

664とはずがたり:2021/05/06(木) 22:30:24

結構有名らしい。

#250 権現谷林道にて ?行者、橋、水湧く巨岩?
http://blog.livedoor.jp/ekon_bangai-ashiato/archives/1056461365.html

665とはずがたり:2021/05/13(木) 03:07:15
先日途中迄走ったr224。ひょっとしてと思ったけど三重県境まで県道指定されてる模様ぅう!!


奈良県道224号大台大迫線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%81%93224%E5%8F%B7%E5%A4%A7%E5%8F%B0%E5%A4%A7%E8%BF%AB%E7%B7%9A

三重県境から西進し、国道169号へ至る。起点の大台辻から同村入之波字筏場までは台高山脈への登山道であるため、自動車の通行は不能。

666とはずがたり:2021/05/13(木) 03:11:24
>>665
三重県側からのお迎えに当たる道路は無さそう。

r53とかと繋げればいいのに。

667とはずがたり:2021/05/13(木) 03:20:18
これもなかなか面白そうな分断県道。

県道のマークはないがR422の分断区間の末端区間の国道で塗られてない区間はほんとはこのr758なのではないか?

http://kendougt.web.fc2.com/Mie-758.html
三重県道758号 桧原大内山線

668とはずがたり:2021/05/13(木) 03:28:44
>>667
今となっては半世紀以上である。。

>ここに至るまでにいくつか橋を渡っていて、橋の建造年を見るとほとんど昭和31〜32年となっていた。と、いう事は半世紀近くこの道は伸びていない!?

19650年代に延ばそうとしてそのままかよw

googleは工事中でもないのにこんな所であきらめとる。
https://www.google.co.jp/maps/@34.2780641,136.308711,3a,47.8y,269.68h,94.19t/data=!3m6!1e1!3m4!1sdjOXAJGjG4tZ9Dw1Jmq_VA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

2003年の県道グランツーリスモ氏の全面的な勝ちっぽいな。その氏も2017年にはもう更新ないかもとか書いている。

669とはずがたり:2021/05/15(土) 16:11:59
万波が真南の意味なら此処は越中の物だろうと思うんだけど昔から争ってるようだ。
ただ久婦須の連中が侵入したのが直ぐ南の万波だとして白峰と楢峠は随分離れていて違う話だろう。

O-RANGENOTE
目指すは白木峰
https://o-rangenote.site/sample-page/%E5%B1%B1%E8%A1%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B3%B0/

 近所の山にしては珍しくなだらかでたおやかな山である。山頂付近は湿原や浮島があり娘のお気に入りの山であるが今回は一人(1台)で来た。

 地元の山のはずであるが、残念ながら富山県側の方がアプローチがよい。県境近くの峠を越え、一旦富山県側に下ってから林道を登り返す。時間的には家から1時間程度だ。山頂付近は富山国体の頃に木道も整備され、優雅に池糖めぐりができる。

 この山を巡っては古くは鎌倉時代から国境争いがあり、昭和の40年代まで県境が確定しなかった。
 自分の持っている国土地理院の5万分の1の地図(昭和43年発行)にも県境の線が入っていない。

 かつては山頂にNTTの鉄塔があり、自宅からの眺めの目印にもなり、目障りにもなっていたがいつ頃からか取り払われている。
 鉄塔のおかげと思うが林道が延長され点検用の作業道が山頂まであるので、自家用車でも山頂近くまで行くことができる。
 途中のゲートに鍵がかかっていてそこから徒歩になり、1時間足らずで山頂だが、ハンターカブで行くとうまくすると柵の横をすり抜けて山頂まで行く事が出来る。

国境論争

 江戸時代の国境論争は、飛騨側の百姓が幕府へ裁定を訴え出た事で表ざたになった。古くから飛騨の入会山(いりあいやま)であった久母須万波山(くぶすまんなみやま)に越中の桐谷村(富山県八尾町)の村人が加賀領だと主張して入り込み、薪・木呂(ころ)を盗伐したとして訴え出たものである。延宝2年(1674年)8月に飛騨側の全面勝訴の形で裁定が下ったが、まさに首をかけた争いで、命がけで争ったものであった。

 今では境界争いと言っても誰もさして気にも留めないが、国(藩)の境の事なので飛騨・越中それぞれの藩主を巻き込んだ一大事件であった。
 
 実はそれ以前から係争の火種はくすぶり続けており、それぞれの藩で交渉はしていたようであるが、江戸表まで提訴してようやく決着を見たという形になっている。

 飛騨と越中それぞれの国(藩)の威信をかけて幕府に訴え出たようで、負けたら命はないものと覚悟していたようである。

 出立(しゅったつ)は水杯(みずさかずき)であったと、記録にあるし、3年後に裁定が下り負けた越中側の当事者は入牢し帰宅したという記録はない。それにその後越中前田藩では関係した家老が切腹をしたとの記録があるし、他にも不審な死が伝説になっている。今に至るまで遺恨が残っているともいわれている。

 飛騨側が金品を江戸へ送って裁定に手心を加えさせたとの話もあるし、もともと天然資源の豊富な飛騨を天領にするために幕府がこの争いを恣意的に裁定をしたとの説もある。裁定の最中に富山藩の藩主が急逝し毒殺の噂もあるのである。

 そんな争いがすぐ身近で、それもその後数百年にわたって尾を引き、つい最近まで繰り広げられていたのである。

朝日新聞地方版のシリーズ「県境」の切り抜きがある。

  この「県境」シリーズはその後も何回か掲載されていたと思うが、まだ活字が小さい昭和の48年頃のものである。

その中で「河合村」があり、
越中と飛騨の農民が寛文12年(1672年)から3年越しに争い、何度か江戸まで足を運びようやく幕府の裁定が下りたが、再び昭和36年から10年間争った後昭和46年6月に杭打ちをしてようやくにして県境が定まったのである。
3百年前の争いは、楢峠からほぼ北東に伸びる分水線を国境とする越中側の言い分と、さらに4キロ北に寄った白木峰の尾根筋が国境だという飛騨農民の主張の対立。「越中農民が立ち木の伐採に越境している」との訴えから騒動が始まり、最終的にほぼ全面的に飛騨側の主張が認められ、現在の県境に近い形で国境は決まった。
昭和の争いも県境を挟んで伐採をしていた二つの林業会社が林地を巡って「越境した」「していない」と対立して起きた。飛騨側に土地所有権を持つ業者が富山県の業者と八尾町を相手どって提訴。最高裁まで争った据え、昭和45年6月になって境界線が確定した。

 と新聞の記事に書いてある。

670とはずがたり:2021/05/21(金) 14:29:01
和賀川http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/waka00.htmlの西側を奥羽山脈の脊梁が南北に貫いて居る訳だがhttp://yamaiga.com/road/kawaguti/main.html (山行が「奥産道 太田沢内線」)で示された奥羽山脈を抜ける6本の道,北からR46仙岩峠・奥産道太田沢内線,峰越連絡林道真昼峠,r12笹峠,広域基幹林道萱峠,R107巣郷峠,いずれも気になる道である。

長大な廃道で知られる仙岩峠は一寸別格なのでそれ以下の5本を調べてみる。

一番低い巣郷峠300mが今ではメインに成ってゐるけど,現在はってことは昔は違ったんか。
>この峠の約10km南方に、国道107号線が僅か海抜300mの巣郷峠で県境を越えている現在
https://yamaiga.com/road/sasatouge/main.html (山行が「黒森峠と笹峠」)

調べてみると
http://www.kyudou.org/nagajis.dyndns.org/Bunsuirei/text_d/toh/sugou.html
>国道107号。ツーリングマップルはこの名前で記載している。白木峠に代わって開かれた平和街道の新道とでもいうべき所だが、実際は黒沢沿いのこちらの道のほうが古かった可能性がある。
>正確な記録はないものの奥州藤原氏の金を運んだ隠し道があったという伝承があり、それを裏づける神社などの物的証拠もちらほらあるそう(c.f.横田市史or山形県史)。

とあって,古くは白木峠がメインで巣郷峠は記録にも残らない脇道だったようだ。より昔(奥州藤原氏時代)には使われていたらしいが遠回りを嫌われた様だ。

十津川沿いの川も長いこと嫌われ?熊野古道は高野山から峠を上り下りしてたが結局は勾配よりは距離を選好した時代ということか。川沿いが災害とか多かったのかなと思うのだけど

西和賀ファン
2013年11月6日
白木峠
http://www.nishiwagafan.jp/hyakkei/history/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B3%A0
白木峠は、西和賀町と秋田県横手市を結ぶ、標高601.6mの峠(別称・白木山)です。

その歴史は古く、後三年の役で安部貞任が越したと古書に残されており、その後も南部藩と佐竹藩との重要な往来道でした。

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道は甚だ嶮岨(けんそ・地勢のけわしいさま)で容易ではない。さらに南の巣郷には平坦な往来道の秀衡街道があったが、遠距離なので後世に白木峠を通る道を開いた。(邦内郷村志)

険しくて越えるのに甚だ難儀をする。道は狭くてすれ違うのがやっと。駕籠(かご)は通れないし、荷物を積んだ馬は通れず、馬に乗って通ることもできない。しかし牛だけは荷物を積んで上り下りできる。(澤内風土記)

また、藩政時代「下り塩」として日本海側の東北各藩に移入された瀬戸内塩は、物部川を遡行して陸揚げされ、六郷・横手を中継地として、沢内・湯田など西和賀方面に入ってきました。

この白木峠も、下前の笹峠や左草の萱峠とともに「塩の道」でした。

671とはずがたり:2021/05/21(金) 14:42:18
>>670
白木峠と巣郷越を自宅のデュアルモニタで一枚に納めた位置。
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.288293/140.699522/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

この距離差でこの難路を選好するのか〜。。

秋田藩と盛岡藩の番所が置かれててこっちを歩けとなっていたっぽい。版図防衛にも好ましかったのか?
>番所の廃止もあって、明治9年の久保田の豪商山中新十郎は、黒沢峠に後の平和街道を切り開き、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A1%97%E9%81%93

その隣り薊峠も黒沢川(え!?こんなとこに黒沢?北上市の本来の名前は黒沢尻。こいつの終点って意味か?)沿いの迂回を避けて旧街道は峠越えたのか?
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.294139/140.612447/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

特に検索掛けてもこの峠のことは出てこない。。

672とはずがたり:2021/05/21(金) 22:00:41
>>670-671
http://yamaiga.com/road/kawaguti/main.html (山行が「奥産道 太田沢内線」)で示された奥羽山脈を抜ける6本の道,北からR46仙岩峠・奥産道太田沢内線,峰越連絡林道真昼峠,r12笹峠,広域基幹林道萱峠,R107巣郷峠。
長大な廃道で知られる仙岩峠は一寸別格なのでそれ以下の5本を調べてみる。

次は真昼岳林道。国道を除けば唯一開通はしてる形にはなっているが酷い状況らしい。特に岩手側があれてるようだ。ジムニーで走破とか書かれてる。

臨場感あるレポはこれかなあ。

残念ながらGEOの廃止で4以降が見れないけど,


真昼岳林道/ Mahirudake 林道探索の書 ?今日もどこかで林道ざんまい? 
探索日 2015.08.11 / No.Ak-020 
 [ 所在地 ]西和賀町(岩手県) ・ 美郷町(秋田県) [ 状態 ]完抜半ダート [ 接続林道 ]- [ 分岐林道 ]-
 ダイナミックに爽快な峠越えの長距離ダートだが、行き交う車両は途絶えて今は無人境!
http://geo.d51498.com/rindou_tansaku/akita-top/ak-020/ak-020.htm

673とはずがたり:2021/05/22(土) 23:23:54
R361の高根沢ダム付近の旧道発見!

https://www.google.co.jp/maps/@36.0223128,137.5033298,3a,75y,193.86h,78.05t/data=!3m6!1e1!3m4!1s_29sHnC0WB75fyi3bJcZ6w!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://www.google.co.jp/maps/@36.0215756,137.5008077,3a,75y,276.42h,85.55t/data=!3m6!1e1!3m4!1slfjanPo73kk7CjHnvbZ0Hw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

674とはずがたり:2021/05/22(土) 23:29:13
R361の高根沢ダム付近の旧道発見!

https://www.google.co.jp/maps/@36.0223128,137.5033298,3a,75y,193.86h,78.05t/data=!3m6!1e1!3m4!1s_29sHnC0WB75fyi3bJcZ6w!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://www.google.co.jp/maps/@36.0215756,137.5008077,3a,75y,276.42h,85.55t/data=!3m6!1e1!3m4!1slfjanPo73kk7CjHnvbZ0Hw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

もう誰かがレポしてるわ。

http://tenere.blog.shinobi.jp/%E9%9A%A7%E9%81%93%E3%83%BB%E5%BB%83%E9%9A%A7%E9%81%93/%E5%9B%BD%E9%81%93361%E5%8F%B7%E3%80%80%E5%BB%83%E9%9A%A7%E9%81%93%E4%B8%89%E3%81%A4%E3%80%80%E4%B8%8A%E3%83%B6%E6%B4%9E5%E5%8F%B7%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E6%97%A5%E5%92%8C%E7%94%B0
国道361号 廃隧道三つ 上ヶ洞5号トンネル・日和田1号トンネル・日和田2号トンネル

675とはずがたり:2021/05/24(月) 23:33:50

この先を通り抜けた動画っぽいw流石にヤバそうww
https://www.google.co.jp/maps/@34.2984373,135.2508206,3a,75y,343.83h,88.8t/data=!3m9!1e1!3m7!1sI0e4uTw6dr4l0FvKuCwF8A!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i32?hl=ja

行ったことを後悔する超限界集落の先の狭い道へ
213,708 回視聴?2021/05/02
https://www.youtube.com/watch?v=wIiisG2HQF4

676とはずがたり:2021/05/25(火) 23:28:11
>>665-666
矢張り主要地方道同士が(道路台帳上で)繋がるのが好いだらう。

調べてみると

奈良県道
40 大台ケ原公園川上線
53 高野天川線(和歌山県道と共通)
三重県道
40 熊野矢ノ川線
53 大台ヶ原線

ということは

奈良県道
40 大台川上線(三重県道と共通)
53 高野天川線(和歌山県道と共通)
三重県道
40 大台川上線(奈良県道と共通)
53 熊野矢ノ川線

とするのがいい感じ♪

勿論,林道洞川川上線を組み込んで

53 高野川上大台線(奈良県道・和歌山県道・三重県道共通)とかにしてもめっちゃええ♪(・∀・)b

677とはずがたり:2021/07/07(水) 00:05:23
隧道探訪
四国の旧廃道にある「隧道」を紹介するHPです。
http://www.mafura-maki.jp/

678荷主研究者:2021/07/17(土) 23:27:25

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/554580?rct=n_hokkaido
2021年06/14 05:00 北海道新聞
道道夕張長沼線、本当に必要? 全線開通求め首長らが期成会 費用対効果には疑問も

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20210614hokkaido01.JPG
道路が途切れている道道夕張長沼線=夕張市南清水沢3

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20210614hokkaido02.JPG

 【夕張】市清水沢宮前町と長沼町中心部を結ぶ、道道夕張長沼線(延長32・5キロ)の未開通部分に関し、夕張、栗山など1市3町の首長らによる整備促進期成会が3月下旬に設立された。期成会からは災害時の夕張と札幌圏のアクセス確保など、開通の必要性を主張する声が上がる。一方、夕張市の人口減に歯止めがかからない中、同市内では費用対効果を疑問視する意見も出ている。

 同線は1982年、道道に認定。現在、夕張市南清水沢3と栗山町御園の10・6キロが未開通となっている。開通部分は道道認定前からの既存道路。札幌建設管理部は未開通の理由を《1》未開通部分の距離が長い《2》急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯を通過《3》整備には時間と費用がかかる―と説明。今後については「地質の状態や社会情勢、交通量、費用対効果を見極めて、整備が必要か否か検討したい」と話している。

 期成会には首長に加え、議会議長らも参加。会長には厚谷司・夕張市長が就いた。39年間整備されていない道路の期成会を設立したことについて、夕張市議会の大山修二議長は、清水沢地区が将来的な市の中心部となる市の構想を挙げた上で「札幌との既存ルートが災害時に使えなくなった場合や、救急患者の搬送、観光ルートの構築で大いに効果が得られる。費用対効果を前面に出せば、まちづくりなどできない」と話す。

 ただ、同市内からは「道道札幌夕張線(札夕線)や国道274号があるのに、人口が今後も減っていくであろう夕張市に新しい道はいらない」といった意見が出ている。不要不急の公共事業に厳しい世論もある。

 ある関係者は「新しい市立診療所は札夕線の終点がある若菜地区にできるため、夕張長沼線が救急患者の搬送に有効だとは思えない」と指摘。「清水沢から札幌までの所要時間は札夕線を使うのに比べると4分短縮にすぎず、整備費用も200億円はかかるとも言われており、必要な道路だとは言えない」と話す。(志村直)

679荷主研究者:2021/08/15(日) 21:49:53

https://www.minyu-net.com/news/news/FM20210716-637248.php
2021年07月16日 08時15分 福島民友新聞
万世大路の環境整備 福島の保存会、伐採や側溝清掃

二ツ小屋隧道で交流を深めた福島と米沢の関係者

 福島市と山形県米沢市を結ぶため明治初期に整備された栗子峠の「万世大路」の保存活動に取り組む福島市の「二ツ小屋隧道保存会」(鈴木信良会長)は10日、万世大路に残るトンネル跡の二ツ小屋隧道周辺の環境整備活動を行った。

 同保存会員ら約15人が雑木伐採や側溝清掃などを行った。この日は米沢市側から万世大路を歩くイベントも開かれており、二ツ小屋隧道でこのイベント参加者を出迎えて、福島と米沢の関係者が万世大路を通した絆を確認した。

 万世大路は福島・山形の発展に向けて両県が1876(明治9)〜77年に着工。当時日本最長の「栗子隧道」など大規模工事を進めて81年に開通した。昭和初期から改良されたが、国道13号整備に伴い昭和40年代に廃道となった。

680荷主研究者:2021/09/11(土) 11:43:17

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/581662?rct=n_hokkaido
2021年08/25 05:00 北海道新聞
ダム湖に沈んだ道が… 旧道道当別浜益港線 夏の水位低下で出現

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20210825hokkaido01.JPG
夏場の水位低下で旧道道当別浜益港線の道路が現れている当別ダムの「当別ふくろう湖」=24日

 【当別】夏場の水位が下がった当別ダムのダム湖「当別ふくろう湖」で、ダム建設で水没した旧道道当別浜益港線の道路が姿を現している。札幌建設管理部当別出張所によると、まとまった雨が少ない夏場に見られるという。

 当別ダムは当別や札幌、石狩、小樽への水道水や農業用水の供給などを目的に、道が実施主体で2012年に完成した。建設工事に伴い青山や青山中央地区などの住民が立ち退いたほか、当別浜益港線の一部もダム湖に沈んだ。12年にはダムの周囲に延長9・8キロの道路が付け替えられた。

 ダム湖では砂をかぶった道路が出ている。道路はカーブを描き、曲がったガードレールもある。うっすらと白や黄色の車線も確認することができ、かつて道路があったことを伝えている。

 同出張所によると、23日午後2時の水位は54・74メートル。下流に自然放流される水位の57・2メートル以上には届いていない。同出張所は「現在の水位は例年並み。水道水の供給などに支障は出ていない」と話す。

 例年9月以降は雨の日が増え、再びダムの放流が始まる。(伊藤駿)

681とはずがたり:2021/11/21(日) 12:15:17
面白そうだ。買ってみるかねえ。。

新刊
走らなかった鉄道 未成線を追う
松村真人・著
サイズ:四六判
https://kobe-yomitai.jp/book/1125/

682とはずがたり:2021/12/06(月) 20:54:04
トムラウシ山遭難事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7%E5%B1%B1%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。
https://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comments
Juli 18, 2009 151 Kommentare

683とはずがたり:2021/12/06(月) 20:56:47
この事故で亡くなったブロガーが>>682のらしい。

奥秩父4重遭難の残酷、千葉法相の無残
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/dc220586f1431a5443c9ec86cd734f28
2010年08月06日

684とはずがたり:2022/03/25(金) 21:40:26
帰省序でに佐久間方面から新豊根ダムを見に行こうと思ったたのに此処(大入渓谷沿い愛知県道429号)通行止めかよ!トンネルも見えてるし。。通りてぇ〜。よっきのわるにゃんよろw

https://www.google.co.jp/maps/@35.1248635,137.7628558,3a,15.2y,216.88h,87.14t/data=!3m6!1e1!3m4!1soa5fnEJAqTOvfy7_exGOgg!2e0!7i16384!8i8192?hl=ja

因みに新豊根発電所のある佐久間ダム湖方面へ抜ける分地峠も県道指定されてる(同428号)のにそっちは車道ですらない模様。

レポみっけ。

愛知県道428号・未開通区間入口?【2019年11月2日】
https://ameblo.jp/subaru6ss/entry-12547483113.html

685とはずがたり:2022/08/02(火) 23:34:22
富士山の麓、青木ヶ原樹海に延長2キロの“石の壁” いったい誰が何のために? いまだ解明されない謎
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/96337?display=1

686とはずがたり:2023/01/02(月) 18:48:55

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E5%B3%A0
古来あった峠ではなく、1904年(明治37年)に完成した天城トンネルによってできた峠である。

天城峠は伊豆半島の内陸と南部を結ぶ重要な峠であり、このトンネルのできる前の天城越えは下田街道の難所であった。天城トンネルができる前には二本杉峠が使われ、それより前は古峠が天城越えの峠として使われてきた。

二本杉峠・古峠
https://www.google.com/maps/place/%E4%BA%8C%E6%9C%AC%E6%9D%89%E5%B3%A0%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E5%B3%A0%EF%BC%89/@34.8322841,138.9219981,15.17z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xbcc36c1d17b5f31b!8m2!3d34.8314488!4d138.90823

古峠付近?
http://maps.gsi.go.jp/#15/34.827455/138.917398/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

687とはずがたり:2023/01/02(月) 18:51:58
三八豪雪で離村。

勝山市北郷町岩屋
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.111799/136.437364/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

岩屋の大杉
https://kyojyukyoboku.sakura.ne.jp/koboku/iwaya/iwaya.html

688とはずがたり:2023/04/05(水) 20:44:09
結局解明できていない穴のお陰で気になるレポの粒様線。
今,水発の目で見ると距離は長いが落差は少ないので発電には向きそうに無い。
平坦って事はダムには適しているかも知れないけど。。

廃線レポート 森吉林鉄 粒様線   序文
ttp://yamaiga.com/rail/tubusama/main.html

森吉森林鉄道 土沢支線 【導入】
ttps://my-michi.com/2021/09/43279586/moriyoshi-forest-railway-00-2/

山行が調査レポ 特別編 森吉様沢計画
ttps://yamaiga.com/road/samasawa/main.html

上には上が。森吉山「九階の滝」をめぐって
ttps://dr-seo.net/2016/05/25/%E4%B8%8A%E3%81%AB%E3%81%AF%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%80%81%E3%80%81%E3%80%81/

森吉・九階滝①(紅葉の赤水沢)←くじ氏登場してる。酔いどれ調査隊なるチーム(えるさん、けんぼーさん、くじさん)があるようだw
2009-10-12 21:42:35
ttps://ame blo.jp/hanagon60/entry-12523291791.html

九階ノ滝 1
- 森吉 様ノ沢 -←その酔いどれ調査隊の頁みたいw(えるさんが登場してる。けんぼーさんが酔いどれさん?)
ttps://mu gen3.com/kitatouhokuTaki3.html

689とはずがたり:2023/04/18(火) 20:19:24
南無谷隧道
山行がではちゃんとレポられてないかな。ちぃしゃん氏のサイトで載っている。最近ブドウ君がボートで通り抜けしたようだ。

JR内房線 旧岩富隧道(再訪)
http://chi-chanhp.net/hobby/Ruins/railway/iwatomi/iwatomi11.html

山行が
https://yamaiga.com/road/r127/main12.html

https://www.youtube.com/watch?v=B0ksMYB5Lx4
水没した廃トンネルを大冒険しました【隧道】

690とはずがたり:2023/06/21(水) 15:26:21
林道らしい。

【広島】中国道の脇にある謎のトンネルの正体とは...?
https://tver.jp/episodes/ep44ypbnhk?utm_campaign=ep44ypbnhk&utm_medium=web_lp&tkn=ae768c8a-586d-4eb6-8766-3c9277c904e7

ここらしい
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.537018/132.221178/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

よごれん氏のツイート
https://twitter.com/yogoren/status/1671358271603740672

691とはずがたり:2023/07/17(月) 17:31:42
なかなかしっかりしたレポ♪

茨城県道249号山方水府線交通不能区間(前編)
https://rrbrd.blogspot.com/2020/09/r249ibaraki01.html

>最後の民家を過ぎると道は砂利道に変わり、まもなく砂防ダムに突き当たる。
>常陸太田側の車道はこれで終わりである(県道33号から約700m)。
>砂防ダムの名を寺入沢砂防ダムという。
多分此処
https://maps.gsi.go.jp/#17/36.666900/140.466288/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
すとびゅうで山道方向を望む
https://www.google.co.jp/maps/@36.6670422,140.4665143,3a,90y,315.46h,103.96t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipNS9NU_GiR8RO4dCTAxmRztyUVl8BAyltrRtQ7D!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNS9NU_GiR8RO4dCTAxmRztyUVl8BAyltrRtQ7D%3Dw203-h100-k-no-pi-0-ya297.70834-ro0-fo100!7i8192!8i4096?hl=ja&entry=ttu

茨城県道249号山方水府線交通不能区間(後編)
https://rrbrd.blogspot.com/2020/10/r249ibaraki02.html
○建設部長(富田広美君)  県道山方水府線整備事業廃止による地権者との約束について,お答え申し上げます。
 県道山方水府線は,旧山方町から旧金砂郷町を経由し,旧水府村までの延長約7.6キロメートルを整備する計画でございました。しかし,県において現地を詳細に調査した結果,ルートに当たる西金砂神社北側付近一帯が地すべり地帯で,さらに地形が急峻なため,道路整備計画の見直しを行い,これにより,旧水府村においては,天下野町の集落内約750メートルを整備し,その先線の事業を中止することで地元の承諾が得られているところでございます。
 議員ご指摘のとおり,県道入口から約450メートル区間は整備されましたが,残り約300メートルが未整備となっておりますことから,県に確認いたしましたところ,本年度現地調査の上,段階的に工事を進めていく予定と伺ってございます。
 市といたしましても,事業中止の条件として県が地元に約束しました残り区間の整備の早期完成を要望してまいります。なお,整備完了後は県から移管を受け,市道として管理していくこととなります。

茨城県道249号山方水府線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%81%93249%E5%8F%B7%E5%B1%B1%E6%96%B9%E6%B0%B4%E5%BA%9C%E7%B7%9A

1993年(平成5年)4月1日、前身にあたる県道折橋山方線は、一部区間が国道461号に昇格したことにより同日廃止[4]されて、残存区間である県道常陸太田大子線交点から県道常陸太田烏山線交点までが、新たに山方水府線として路線認定された。1995年(平成7年)に整理番号249に変更され現在に至る。


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