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国道・県道スレッド
984
:
荷主研究者
:2011/02/20(日) 13:06:14
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20110119/CK2011011902000058.html
2011年1月19日 東京新聞
墓地横断 60年ぶり開通 行田の市道墓200基移転 式典で読経
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2011011902100015_size0.jpg
開通した南大通線。中央の家屋の奥に現在の高源寺がある=行田市で
行田市のJR行田駅と国道125号を東西に結ぶ約6.9キロの幹線市道「南大通線」が、都市計画決定から60年ぶりに17日、全線開通した。同市佐間1の高源寺の墓地を横断する異例の図面のまま着工、200基以上の墓を移転して今回、未開通だった140メートルの工事が完了した。 (柏崎智子)
同日行われた式典では、工藤正司市長らがテープカットする隣で、同寺二十代目住職の岩佐宗貴さん(58)が、手を合わせ、静かに読経した。
岩佐さんによると、寺へ市から用地買収の話があったのは一九九二年ごろ。既に東西を新しい道路に挟まれていた。話し合いは長期化したが、市街地と警察署、消防本部を結ぶ意義を考え、応じた。
近く寺も、墓地が移転した約二キロ南の同市渡柳へ引っ越す。岩佐さんは最近、移転先について調べて驚いたという。戦国時代、市内の忍城(おしじょう)を水攻めした石田三成軍の陣屋跡といわれる土地だった。
高源寺は、戦に敗れ開城した忍城側の武将正木丹波守利英が戦後、両軍の死者を弔うため建立した寺。「“敵味方なく”という丹波守の遺志にふさわしい場所を得られました。これもお導きかと」
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