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国道・県道スレッド
1681
:
とはずがたり
:2015/08/10(月) 20:06:41
>本書では、この七道駅路と現在の高速道路の共通点のひとつとして「路線位置」があげられている。
七道は中央政府のことしか考えてない歪つな道路だからなぁ。。
8/10は「道の日」じつはそっくり高速道路と古代の道路
エキサイトレビュー 2015年8月10日 13時00分
ライター情報:近藤正高
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20150810/E1439182681772.html
外国人の見た日本の道路
きょう8月10日は、道路の意義・重要性に対する国民の関心を高めるため国土交通省が制定した「道の日」である。その日付は、1920年のこの日、日本で最初の道路整備についての長期計画である「第1次道路改良計画」が実施されたことに由来する。
明治以降の国の交通政策はもっぱら鉄道に傾斜していた。それが大正時代の1919年になってようやく「道路法」が制定され、道路網の整備は端緒につくことになる。しかし第二次大戦後にいたってもなお、日本の道路事情はきわめて劣悪だった。実際、1956年に名神高速道路の建設にあたり日本政府に招かれた世界銀行(世銀)のワトキンス調査団の報告書には次のような一文が出てくる。
《日本の道路は信じがたいほど悪い。工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本のほかにない》
世銀は発展途上国に資金の融資などを行なう国連の専門機関だ。日本政府は名神高速道路の建設費をまかなうべく世銀に借款を求めた。このとき世銀から派遣されたのが、経済学者のラルフ・J・ワトキンス(当時、米ニューヨークのブルックリン研究所に所属)を団長とする調査団だった。くだんの報告書では、名神高速道路の建設が是とされ、その建設費の一部に世銀が貸付を行なうことにお墨つきが与えられる。ワトキンスはまた、高速道路建設にあたり外国から経験のある技術専門家を雇うことも提言している。
『道路の日本史 - 古代駅路から高速道路へ』中公新書/武部健一
外国が道路の整備に影響を与えたのは何も現代だけの話ではなく、古代から似たようなケースはあったようだ。武部健一『道路の日本史』(中公新書)によれば、3世紀の『魏志倭人伝』にも、魏からの使いが日本を訪れたときの最初の印象として「土地は山険しく深林多く、道路は禽鹿(きんろく。鳥や鹿のこと)の径(みち)の如し」との記録が見られる。さらに『日本書紀』をひもとけば、その後の時代にも中国や朝鮮といった外国から使いが来るたびに道路の整備が行なわれていたことをうかがわせる記述があるという。
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