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国道・県道スレッド

1609とはずがたり:2015/01/23(金) 14:20:20

2013年7月15日月曜日
第5回 元本四公団総裁 山根孟さん(前編) 
http://blogs.jsce.jp/2013/07/5.html

山根孟さんプロフィール
1928年2月20日生まれ、1950年東京大学第2工学部土木科卒、同年5月建設省入省(中国四国地方建設局岡山第一工事事務所)、1958年中国地方建設局岡山工事事務所調査設計課長、1962年道路局企画課長補佐、1970年道路局企画課道路経済調査室長、1972年道路局高速道路課長、1976年道路局企画課長、1977年中国地方建設局長、1978年道路局長、1980年本州四国連絡橋公団理事、1986年本州四国連絡橋公団総裁。この間、1963年〜1964年土木学会本州四国連絡橋技術調査委員会上部構造に関する専門委員会幹事、1965年〜1976年土木学会本州四国連絡橋技術調査委員会幹事補佐、同耐震設計小委員会委員、同耐風設計小委員会委員のほか土木学会土木計画学研究委員会幹事、同委員、企画委員会委員、建設用ロボット委員会委員長などを歴任。2000年には土木学会功績賞を受賞している。
主な著書に『計画者と技術者のための交通工学 』(共訳、1976)、『道を拓く−高速道路と私』(共著、1985年)その他「土木学会誌」、「道路」、「高速道路と自動車」などの雑誌掲載記事多数。
対談日:2013年4月30日  於:土木学会会議室

■戦後、頻発した海難事故――本四架橋は人びとの悲願

山岡 個人的な話で恐縮ですが、私は愛媛県の松山市で生まれ、高校を出るまで過ごしました。四国の人間にとって海は親しみがあり、その恵みを享受する一方で、荒れたときの怖さは骨身に沁みています。じつは、私の伯母は幼かった従兄とともに客船の海難事故で命を落としました。私が生まれる前の話なのですが、祖母は100歳で亡くなるまで、台風が接近していたのに伯母たちを船に乗せたことをずっと悔いていた。正確な天気予報などない時代の海難事故だったのですが……。
 現在、本州と四国の間には、神戸―鳴門ルート、児島―坂出ルート(通称:瀬戸大橋)、尾道―今治ルート(通称:瀬戸内しまなみ海道)と3ルートの橋が架かっています。財政負担の大きさや、予想を下回る交通量などから、本州と四国の間に三つも橋なんていらない、という批判をよく耳にします。マクロ的に見れば、確かにそういう面はあるでしょう。ただ、本四架橋の原点は単なる経済効果だけではなかった。生命を救う橋だったのだということを、ちょっと申し添えておきたい。感傷に浸っているのではなく、実際に戦後の復興期には船の沈没事故が次々と起きていますね。

山根 ええ、そうです。終戦の1945年11月には瀬戸内海汽船の「第十東予丸」が、定員の三倍を乗せた状態で荒天に船出し、伯方島沖で沈没し、死者・行方不明者450余名(『愛媛県史』)を出しています。間を置かず、同年12月、播淡汽船の「せきれい丸」が明石海峡で沈没して、304人が亡くなった。48年には阪神―多度津航路の関西汽船「女王丸」が牛窓沖で機雷に触れて沈み、死者・行方不明者は199名(『岡山県史』)……と、海難事故は頻発しています。
当時は、まだみんな自分が食べることに一生懸命で、事故が起きてもなかなか公共政策に対策が反映されなかった。転機は1954年9月、国鉄の青函連絡船「洞爺丸」事故です。これで1155人の方が亡くなりました。国鉄は、真剣に海を越える橋を考え始めます。そして55年5月に国鉄の宇高連絡船で「紫雲丸」の事故が起きた。視界100メートルの濃霧のなかで、四国の高松と岡山の宇野を結ぶ客船の紫雲丸と、貨物船が衝突して、修学旅行中の小中学生など、168人が犠牲になりました。この事故を受けて、瀬戸内海を安全に快適に渡りたい、橋かトンネルを、と地域の機運は高まり、同年8月に「本土淡路四国直通鉄道促進期成同盟会」(会長・徳島県知事)が結成されます。国鉄は本四連絡鉄道の調査を開始しました。ここから本四連絡橋の議論が高まっていきます。

■阪神・淡路大震災で1m延びた明石海峡大橋


山根 公共事業は壊滅状態でした。河川、道路、港湾などをどう復興させるか、食料をどう確保するかが国策の中心課題でした。最初に上司から「土木研究所へ行って、打ち合わせて来い」と命じられました。岡山の工事事務所は、旭川と吉井川の河川改修、国道2号(旧山陽道)と30号(岡山から瀬戸内海を挟んで高松へ至る)の改修が主たる事業でした。そこに食料確保、穀倉地帯創出のために農林水産省の児島湾干拓事業が持ちあがります。湾奥を締め切って、人工の淡水湖(児島湖)をつくる計画でした。その淡水化に関わる調査です。旭川は児島水道に流れ込むものですから、湾を閉め切ると旭川の流量に影響が生じ、洪水を招くのではないか、もし洪水の危険があるのなら対策が必要ではないか、と。現代のアセスメントですね。二年くらい調査し、電算機を使って複雑な計算をしましたが、結局、影響なし。建設省は農水省に事業を進めてください、と返事をしました。


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