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国道・県道スレッド

1561荷主研究者:2014/06/21(土) 17:53:00

http://www.yomiuri.co.jp/chubu/feature/CO004281/20130927-OYT8T00022.html?from=yartcl_popin
2013年09月27日 読売新聞
旧参宮有料道路<下>

遷宮に開通間に合わず

 <特にわれわれが重要視いたしておりますのは、直轄通路改良費、(略)来年十月に行われますお伊勢さんの行事に対応いたしまして、三重国道をこの際本年度中に若干でも工事をやっておかなければ、来年の御遷宮の盛儀の施行に支障がある>(国会会議録)

開通時の参宮有料道路(「三重県議会アルバム昭和26年−昭和30年」より)

 御遷宮とは20年に1度、社殿を一新してご神体をうつす伊勢神宮(三重県伊勢市)の第59回式年遷宮のことだ。1952年(昭和27年)11月の衆院建設委員会で、建設省官房長の石破二朗は52年度の補正予算要求で道路改良の必要性をこう強調した。

 三重国道は、伊勢電気鉄道(当時)の跡地を利用して国道23号として建設。三重県松阪市の櫛田橋と伊勢市の度会橋を結ぶ10・6キロ区間が改良されることになり、2億円余の財源は、同年5月に成立したばかりの道路整備特別措置法(旧法)に基づき通行料が充てられることになった。わが国初の有料道路・参宮有料道路はこうして誕生した。

 「遷宮を控えていたのが有料道路の一番乗りをした要因の一つだろう」と、土木学会選奨土木遺産選考委員で岐阜大学工学部准教授の出村嘉史(38)は推測する。

参宮有料道路だった県道37号(三重県明和町で)=杉本昌大撮影

 ただ、工事は遅れた。53年9月に襲来した台風13号で三重県は大きな被害を受け、その復旧に労力を取られたからだ。開通は遷宮から2か月後の同年12月1日にずれ込んだ。

 <予期しない天災を経て行われた式年遷宮時の運輸成績は、稍(やや)期待を裏切った面もなくはなかった>

 遷宮用車両を購入するなどして輸送体制を整えた三重交通は、「20年のあゆみ」で開通時をこう振り返っている。

 コンクリートで舗装された道路の通行料は、普通自動車180円、乗合型自動車250円、自転車、リヤカー40円。「昭和・平成現代史年表」(小学館)によると、当時、白米10キロ680円、入浴料15円、公衆電話10円だった。

 開通から10年後、同社に入社し、急行バスの車掌をしていた橋爪穂積(65)は参宮有料道路をよく走った。「津から伊勢までは1時間20分ほどだった。30席ほどの席はほぼ満席だった」。交通量は次第に増加、参宮有料道路は67年3月11日から無料開放され、その後、県道37号になった。伊勢神宮外宮(げくう)前でウナギ料理店を営む西村隆明(70)は「松阪まで配達でよく通った。生活道路として便利になった」と話す。

 参宮有料道路の開通から60年。62回目の式年遷宮は10月2日に内宮(ないくう)で、5日には外宮で、ご神体をうつす「遷御の儀」でクライマックスを迎える。参拝者の多くが利用する道路は、前回の遷宮が行われた93年に全線開通した伊勢自動車道であり、その後、4車線になった国道23号の南勢バイパスである。(敬称略)

(編集委員 荒川盛也)


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