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スポーツ総合スレッド

433とはずがたり:2008/08/14(木) 12:00:43
>>421

五輪フェンシング:太田選手、楽しんで開花…日本初メダル
http://mainichi.jp/select/today/news/20080814k0000m050134000c.html

 【北京・木戸哲】「努力の天才」が大きな一歩を刻んだ。13日、フェンシング男子フルーレの太田雄貴選手(22)が日本のフェンシング勢として初めて銀メダルを獲得した。「最大限の力は出せた。喜んでいいと思う」。闘志をむき出しにして強豪に挑み、日本のフェンシングの歴史を変えた若武者は、誇らしげにメダルを掲げた。

 「雄貴ファイト」「あきらめるな」。観客席から声援が飛ぶ。剣さばきのスピードは世界トップレベル。一瞬のすきをつきポイントを奪うたびに、太田選手は雄たけびをあげ、ガッツポーズを繰り返した。決勝戦で力尽きた後、両手を挙げて声援に応えた。

 ファンの層が薄いフェンシング。太田選手は常々、「競技人口が増えないとピラミットの頂きも高くならない」と語り、自らのメダルでメジャー化を目指していた。準決勝後には「メダルの色がひとつ違うだけで、国民の皆さんの記憶に(フェンシングが)残るか残らないかが確定する試合。最大限の努力をする」とも話していた。

 小学3年の子供の日。元選手の父義昭さん(55)に家庭用テレビゲーム機を買ってもらったのと引き換えに、本格的に剣を握った。与えられた目標は「3000日特訓」。おたふく風邪になっても手の指を捻挫しても、練習を休むことは許されなかった。

 京都・平安中に入学した春。寺院に泊まり込んで行われた学校行事に、太田選手は剣を持参しなかった。「持って来て」。連続練習記録が途切れそうになると、泣きながら義昭さんに電話伝え、境内を使って親子で剣を交えた。「やらされている」という意識は消えていった。

 平安高校では高校総体3連覇。高2の冬に全日本選手権で最年少優勝を飾り、「史上最強の日本人」と呼ばれた。「努力を続ける才能があった」。中学・高校の恩師、竹内智一教諭(48)は言う。

 初出場だった04年アテネ五輪。準々決勝進出を逃したその日、落ち込む間もなくスタンドから世界の強豪の戦いぶりを研究した。「4年後に対戦するかもしれないから」。引退が近いベテラン選手には目もくれず、若手の試合だけに見入った。

 だが、アテネ後は順風満帆ではなかった。練習を続けるうちに息が詰まり、強くなっている実感がなくなった。フェンシングを辞めようとすら考えた。

 大学2年の冬。初めて練習を休み、4200日を超えていた連続練習記録に自ら終止符を打った。20歳を過ぎて休むことの大切さを知り、目標に向けて再び歩み始めた。「歴史に名を残したい」。そんな思いで、2度目の五輪に臨んだ。

 「恥ずかしいけど、頑張りましたと一言伝えたい」。試合後、そう語った。連続記録は途絶えても、父への感謝は忘れていない。


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