[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
スポーツ総合スレッド
421
:
とはずがたり
:2008/08/13(水) 23:06:58
快挙ですねぇ〜。
「1896年の第1回アテネ五輪から正式採用されている8競技の中では唯一」ってのはまぁ欧米の競技に重心があったってことでしょうけど。。
>フランス発祥のフェンシングが日本に伝わったのは1932年で、五輪には52年ヘルシンキ大会から出場。だが、1896年の第1回アテネ五輪から正式採用されている8競技の中では唯一、日本がメダルを獲得していない。それが日本協会の負い目になっていた。
>逸材の台頭を見て、日本協会は勝負に出た。スポンサーやテレビ放映権料などの収入がない“マイナー競技”は、強化資金が慢性的に不足している。張西専務ら幹部は、自ら企業を回り、頭を下げて約5000万円をかき集めた。
> それを有力選手の強化に投入した。北京五輪に向けた「500日合宿」が始まったのは昨年。東京都北区にできた国立スポーツ科学センターの近辺に太田ら強化指定7選手を住まわせ、練習に集中させた。
笑。此でマイナー競技にも光が当たるようになりましょうし,ほんと良かった。
>今春に同志社大を卒業した太田は就職をしていない。所属の「京都クラブ」はほとんど実体がなく、「さすがに無職ではまずい」と仮に記したものだ。太田もこの五輪に人生をかけていた。
五輪フェンシング:「逸材」強化、歴史変え…太田銀メダル
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20080814k0000m050126000c.html
「まるでタカの目だ。太田のあんな目は見たことがなかった」。大舞台で集中力を高めながら勝ち上がる太田を見て、日本フェンシング協会の張西厚志専務理事が感嘆した。
豊かなスピードと繊細な剣さばきの両方を備えた逸材。06年ドーハ・アジア大会では、日本人として28年ぶりに優勝した。この22歳の剣士には、メダルを渇望する日本フェンシング界の70年越しの夢が託されている。
フランス発祥のフェンシングが日本に伝わったのは1932年で、五輪には52年ヘルシンキ大会から出場。だが、1896年の第1回アテネ五輪から正式採用されている8競技の中では唯一、日本がメダルを獲得していない。それが日本協会の負い目になっていた。
逸材の台頭を見て、日本協会は勝負に出た。スポンサーやテレビ放映権料などの収入がない“マイナー競技”は、強化資金が慢性的に不足している。張西専務ら幹部は、自ら企業を回り、頭を下げて約5000万円をかき集めた。
それを有力選手の強化に投入した。北京五輪に向けた「500日合宿」が始まったのは昨年。東京都北区にできた国立スポーツ科学センターの近辺に太田ら強化指定7選手を住まわせ、練習に集中させた。今春に同志社大を卒業した太田は就職をしていない。所属の「京都クラブ」はほとんど実体がなく、「さすがに無職ではまずい」と仮に記したものだ。太田もこの五輪に人生をかけていた。
小学3年生の時から、選手だった父の教えを受けながら「剣の道」を歩んできた男。クレバーなタイプとして知られるが、競技を愛する熱い思いが胸の内にある。「僕らが歴史を変えたい」と話して、マイナー競技の心意気を見せた。【小坂大】
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板