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スポーツ総合スレッド
1785
:
名無しさん
:2015/09/19(土) 09:15:37
>>1784
■石川で暮らせばよい
森氏と武藤氏の付き合いはかなり古い。出会いを語るのは、さる永田町関係者。
「1981年12月、森さんは衆院の大蔵委員長に就任した。当時、彼は当選5回の中堅代議士でしたが、元々文教族ですからね。親しい大蔵官僚はいなかった。大蔵委員長に就任した後、親しい新聞記者の仲介で、同世代の大蔵官僚を4〜5人紹介された。その中にいたのが主計局主計官補佐だった武藤さんでした」
さらに、2人を結びつけたのは、
「82年6月、武藤さんが商工労働部長として、森さんの地元、石川県に転勤になりました。森さんは、この人事をすごく喜んでいて、ますます親しくなったのです」(同)
98年、ノーパンしゃぶしゃぶが問題になった大蔵省接待汚職事件で、武藤氏は官房長から総務審議官に降格された。だが、その後、奇しくも、森政権下で事務次官に就任した。
「武藤さんは、頭が切れるのはもちろん、何より公明正大な人です。森さんとすれば、全幅の信頼を置いて組織委事務総長を任せていたと思います」(同)
永田町で「サメの脳みそ」と揶揄された森サン。武藤氏は、元総理に群がるコバンザメである。スポーツ評論家の玉木正之氏は言う。
「森さんは、新国立競技場の件と合わせて、国家的プロジェクトに2回失敗した。組織委員会のトップとして責任を取るのは当然です。武藤さんにしたって、彼のもとでエンブレムを決定したわけだからアウト。この2人が辞めないまま、もう1回コンペをやるなんて冗談じゃないよ」
細川内閣で官房長官を務めた武村正義氏は、森氏についてこう語る。
「総理大臣までやった、もう80になろうという人がいつまでもポストに拘(こだわ)らなくていいじゃないですか。引退して、故郷の石川で静かに暮らせばよい」
2人ともこのまま居座るなら、“厄病神”と言われるに違いない。
【特集】「『五輪序曲』不協和音の演奏者」より
※「週刊新潮」2015年9月17日号
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