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商業・流通

867チバQ:2010/02/07(日) 23:50:27
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100204dde012040008000c.html
特集ワイド:うつろう有楽町 ヤミ市、劇場しのぎ削り、西武撤退…
 「信じられませんでした。うそなんじゃないか、と」。西武有楽町店の女性店員はテレビニュースで閉鎖を知った。携帯電話のネットニュースで確認し、「ショックです」という別の店員も。振り返れば、文化や情報の発信基地でもあった有楽町。そんな街の今昔を探しに出かけた。【國枝すみれ、中山裕司】

 有楽町といえば、東京交通会館だ。最上階15階の回転展望レストラン「銀座スカイラウンジ」は80分で一周する。初めて行った。動いてる、動いてる。つい興奮してランチにビーフシチュー(4273円)を食べた。1965(昭和40)年にオープンした時は、富士山や筑波山、東京湾に浮かぶ船まで見えたそうだが、今は林立するビルに囲まれている。しかも、老舗に交じってカラオケ店やネットカフェの看板がある。支配人の榎本貞樹さん(42)は、「3年前に有楽町駅前が新装され、20代前半の若者が増えました。渋谷ほどではないが、ブームの移り変わりが早くなり、定番好きな年配のお客さまは少なくなった」と説明してくれた。

 交通会館の1階に下りると、人だかりのする店があった。特産の水産、畜産加工品などを売るアンテナショップ「北海道どさんこプラザ」。そして、新しい複合商業施設「イトシア」を左手に見ながら、JRの高架から西側へ出る。またお客でいっぱいの店があった。「JALプラザ有楽町」。おいしそうな食べ物に目を輝かせる「どさんこプラザ」のお客に比べ、こちらの客の目は実に真剣だ。日本航空の経営破綻(はたん)を受けて、お客はたまったマイレージをクーポンに替えて商品を買っているのだろう。お客の厳しい視線にさらされ、カバンなどの商品もどこか萎縮(いしゅく)しているように見える。「マイレージはマイルのままではお買い物にお使いいただけません」。こう書かれた店内の張り紙。フラッグ・キャリアーとは不釣り合いに、お手製だった。

 駆け足で過ぎゆく時代。取り残されたのは、西武有楽町店だけではない。

      ■ 

 「JOKR。こちらはラジオ東京です」

 東京におけるラジオ民間放送の第一声は、有楽町から発せられた。51年12月24日、TBSの前身であるラジオ東京が開局する前夜祭だった。場所は当時有楽町にあった毎日新聞の公開スタジオ。有楽町はラジオだけでなく、毎日や朝日、読売、産経の各新聞社がそろった新聞街だった。演劇では有楽座や帝劇、日本劇場、日生劇場などがあり、映画でも東宝や日活など多くの映画館がしのぎを削って、情報を発信していた。

 そう言えば、西武有楽町店の入り口に「お知らせ」という張り紙があった。A4判の小さな白い紙。今年12月25日での営業終了と、顧客への感謝が記されていた。

 「従来型のモノ陳列の百貨店から情報発信型として誕生。オープン直後は『マリオン現象』というほどのブームを起こし、情報発信型の先鞭(せんべん)をつける存在になりました」

 同店だけでなく有楽町という街が果たしてきた情報発信への矜持(きょうじ)を感じた。

 約20年前にセゾングループ史(全6巻)を執筆した一人、東京大学大学院教授の上野千鶴子さんは同店の歴史を振り返った。「池袋が発祥の西武百貨店は、銀座出店が悲願でした。しかし、開店に際して地元団体などが所在地から『銀座の名前は使わないでほしい』と反対され、銀座店ではなく有楽町店になった。開店時のコンセプトは、娯楽や情報に支出する『モノ消費からコト消費へ』『百貨店から八十貨店』だったが、空振りに終わった。『老舗の銀座三越や松坂屋などと肩を並べる』という目標も達成できなかった。西武に限らず、もはや百貨店の業態そのものが無形文化財とも言えますが」

 道一本を挟むだけの有楽町と銀座がこんな関係とは、恥ずかしながら知らなかった。

 だからか……。銀座の商店などでつくる銀座4丁目の「銀座通連合会」を訪ねた時のこと。「(取材に)答えることはない! あの人たち(西武有楽町店)は銀座の住民でも何でもないんだから」。男性の声が奥の部屋から外に漏れてきた。対応してくれた女性は「お話しすることができず、申し訳ありませんね」とすまなそうな顔をした。


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