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商業・流通
692
:
荷主研究者
:2009/10/18(日) 02:31:35
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20091007/CK2009100702000188.html
2009年10月7日 中日新聞
百貨店『松菱』 激動64年 浜松市立中央図書館で回顧展
開業時のポスターを眺める人たち
写真やポスター、記念品など紹介
64年間、浜松市の中心街で市民に親しまれた百貨店「松菱」の足跡を振り返る「思い出の松菱展」が6日、中区松城町の市立中央図書館で始まった。紹介しているのは、創業時のポスターや記念品、時々のチラシや写真など約100点。歩みをまとめた冊子を手に眺めていると、時代の波にもまれた姿があらためて浮かび上がる。11月29日まで。
開業は1937(昭和12)年6月。当時のポスターは「百貨の殿堂」とうたった。多くの人が押し寄せ、げたを脱いでエレベーターに乗った人も。株主やテナントには「打ち出の小づち」が記念品として贈られた。
地上8階建てビルの工事を担ったのは大林組だった。ことし1月に大丸が跡地進出を断念しなければ、再開発事業者となっていただけに興味深い。
株主らに贈られた「打ち出の小づち」。裏に「松菱開店記念」と記されている=いずれも浜松市中区の市立中央図書館で
眼下に牛車/空襲/初の全館冷房/自己破産
「松菱」の店名は浜松にちなんだと思われていたが、実際の事情は異なるらしい。京都を本拠に百貨店を展開していた「丸物」が、「松菱」という百貨店も京都に出店しようと計画した。それがかなわず、進出した浜松で思いを果たした。百貨店の規制議論が強まり、支店扱いにしなかった、とも。
「一番“高さ”を感じたのは、階段の踊り場から窓を通して見る真下の景色でした」「(歩く人や牛車、自動車、バスが)どれも小さく見えて、おもちゃのようです」。冊子に回想を寄せた河合達雄さん(80)=中区蜆塚=は小学生時代、「あこがれの的」の松菱を訪れると決まって眺めを楽しんだ。
その建物は戦時中に計器工場となり、終戦前の空襲と艦砲射撃で焼けただれた。少年兵として復員した河合さんは、浜松駅に降り立つと「松菱はあるか」と焼け野原を歩いた。
松菱は49年、全売り場を再開し、戦後復興から高度成長への波に乗る。56年の大増築で県内初のエスカレーターを設置し、60年には県内百貨店で初の全館冷房を導入した。70年前後からライバル百貨店の参入が相次いだが、松菱は再増築で対抗し、存在感を発揮し続けた。
92年には巨額を投じた新館がオープンした。ところが、バブル崩壊の打撃から経営はじり貧状態となり、2001年11月に自己破産を迎えた。
今回の展示を中央図書館とともに主催したのは、浜松読書文化協力会。同会メンバーで市史編さん委員の鈴木正之さんは「60歳以上の人には、とても思い出深い場所。今のうちに資料を残しておきたかった」と話す。
10年がかりで資料を集めて感じるのは、内外の経済情勢に揺れてきた都心商業地の動きという。不況から再開発の動きが止まり、建物だけ残る現状が何よりも物語っている。
(後藤隆行)
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