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商業・流通

4482チバQ:2021/07/13(火) 11:43:22
https://news.yahoo.co.jp/articles/33130a979d0ce1338881cd969ccbd9a0d56c0e35
感染の“元凶”のように扱われても…「この街で生きたい」中洲のママの思い
7/13(火) 10:02配信

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西日本新聞
営業を再開し、フェースシールドを着けて客と談笑する田中真子さん=12日午後8時すぎ、福岡市博多区(撮影・佐藤雄太朗)

 福岡県に出された新型コロナウイルスの「まん延防止等重点措置」が解除され、福岡市の歓楽街・中洲では12日、休業を強いられていたスナックやクラブが一斉に店を開けた。3カ月近く続いた営業時間の短縮や酒類提供禁止の制約が全てなくなったものの、コロナ禍前のように客が戻るかは見通せない。それでも、あるクラブで働く女性は言葉に力を込める。「この街で生きたい」

【写真8枚】満席の屋台、中洲に笑い声…「まん延防止」解除の夜を歩いた

 12日午後8時すぎ、81日ぶりに営業を再開したクラブ「椿(つばき)」には、再開を祝う花束が届いた。店内には、客とホステスが談笑する声。「こんなに笑ったのは久しぶり」と言う客に、ママの田中真子さん(53)は温かなまなざしを向けた。

 20歳で水商売の世界に入った。昼の仕事をしながらの腰掛けのつもりだったが、接客業の面白さを知って「夜一本」に。常連客と結婚し出産。そして離婚を機に自分の店を持った。

 バブル崩壊、リーマン・ショック、東日本大震災…。幾多の荒波を乗り越えたが、コロナ禍の過酷さは違った。歓楽街は「夜の街」と呼ばれ、感染拡大の元凶のように扱われた。店の客は減り、周りでも閉店する店が続出した。苦楽を共にした友人のスナック経営者が、急に音信不通になったのは一度や二度ではない。

 悩みは深かったが、クラブの男性経営者(50)が救いの手を差し伸べた。「一緒に乗り越えないか」。店を畳み、3月から雇われママとして働き始めた。しかし、すぐに営業時間の短縮要請が出て店は休業した。

 お酒の提供自粛を求めた緊急事態宣言、まん延防止等重点措置…。休業が長引く中、当然のように要請を出す行政や政治家に腹が立った。そんな時は人生を振り返り、「私はここでしか生きていけない」と自分に言い聞かせ、踏ん張った。

 いつか再び店を持ちたいと思うが、将来のことは分からない。「お店に来てくれる一人一人を大切にするだけ」。今は何より、営業できる喜びをかみしめている。 (井崎圭)


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