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商業・流通

3359チバQ:2017/04/03(月) 17:15:58
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170402-00000013-mai-bus_all
<エキナカvs駅前>老舗百貨店撤退で起きた千葉駅前戦争

毎日新聞 4/2(日) 9:30配信
 近年、鳴り物入りで鉄道駅構内の「エキナカ商業施設」オープンが続いている。乗降客の多いターミナル駅に大規模施設が開業すれば、地元経済への好影響も期待される。しかし、駅改札の外を見てみると必ずしもそうとは言えない。先日、駅前百貨店が閉店したJR千葉駅周辺の状況を、神戸国際大学の中村智彦教授(地域経済論)が報告する。【毎日新聞経済プレミア】

 ◇千葉市民の思い出の駅前三越が閉店

 千葉県の県庁所在地・千葉市のターミナル駅であるJR千葉駅。都心と結ぶ総武線や成田空港へ向かう成田線、房総半島の海岸線沿いをたどる内房線、外房線が乗り入れる。都内と成田空港を結ぶ私鉄の京成電鉄の支線駅の一つである京成千葉、千葉市郊外に向かう第三セクターの千葉モノレール・千葉駅への乗り換えもできる。

 JR千葉駅は1日の平均乗車人員が10万人超の大型駅で、同県内では船橋駅、西船橋駅、柏駅に続く第4位だ。千葉市は首都圏のベッドタウンとして人気があり、朝夕のラッシュ時には多くの人が行き交う。

 千葉駅東口から南東へ歩いて数分のところにあったのが、大手百貨店の三越千葉店だ。筆者が訪れた3月15日には、大きな紙袋を抱えた人たちでにぎわっていた。買い物客のお目当ては「閉店セール」。同店は3月20日に閉店した。店内では、「33年のご愛顧に感謝」というポスターをいたる所で目にした。買い物客の多くが高齢者だった。

 もともと同店の建物は1972年、地元百貨店「ニューナラヤ」として開業したものだ。ニューナラヤ運営の奈良屋は、1764年に創業した地場の呉服屋である。戦後に千葉市内で急成長し、県内トップの百貨店となった。

 しかし、1967年に千葉駅前に大手百貨店そごうが進出。対抗するために三越と合弁でオープンしたのが、ニューナラヤだった。その後、84年に千葉三越(のちに三越千葉店)と改称し、経営権も三越に譲渡した。

 つまり三越になって33年だが、それ以前の奈良屋の時代から見れば、千葉市民の中には高度成長期を象徴する思い出の一つがなくなったと感じた人もいるだろう。

 ◇千葉パルコも昨年11月に閉店

 三越千葉店からさらに数分南東に歩いたところに再開発を待つビルがある。立ち入りができないように工事用の鉄板で囲われていた。千葉パルコの跡地だ。

 千葉パルコは、64年開業の地元の田畑百貨店を引き継ぐ形で76年に開業した。バブル期の91年には約230億円の売り上げを記録したが、近年は60億円を切るほどになり、2016年11月末に閉店した。

 千葉市内で製造業を営む年配の中小企業経営者は、「かつては三越やパルコがあったあたりが、駅前の中心地だったんだけどねえ」と話す。「パルコ跡地には、20階ビルが建つ予定で、高層階はマンション、低層階には商業施設が入るらしいけど、昔のにぎわいは戻らないだろうね」

 日本の地方都市では、一般的に鉄道駅は「町外れ」にある。繁華街は、駅から路面電車やバスで移動しなければならない“中心部”にあるのだ。例えば、駅側から見て中心部に向かう方を「駅前」、中心部とは反対側に向かう方を「駅裏」と呼び習わすのは、地方都市の街づくりに端を発している。

 千葉市の場合もその構造に似ていて、駅前の商業集積地は千葉駅から離れたところにあるのだ。千葉パルコは、千葉駅から徒歩10分ほどかかった。そのため、同店は駅前から店舗を結ぶ無料バスを運行していた。このバスは千葉パルコ閉店後、千葉商工会議所を中心に市の支援も受けながら運行を続けている。パルコ閉店で人の流れが途絶えないように努めているのだが、現実は厳しい。

 パルコも三越も、その跡地に新しく建つビルには商業施設が入る予定だ。しかし、地元の商店主は、「もうすぐ駅構内から人が出てこなくなるよ」と言って苦笑いする。その理由は、JR千葉駅の再開発である。


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