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商業・流通
2188
:
チバQ
:2013/05/06(月) 17:16:07
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20130427/CK2013042702000111.html
六本木ヒルズ開業10年 「都心の街のお手本に」
2013年4月27日
開業10年の思いを語る六本木ヒルズ自治会の原保会長=港区で
25日に開業10年を迎えた六本木ヒルズ(港区)で、にぎわう街にひときわ目を細める人がいる。六本木ヒルズ自治会の原保会長(82)は「訪れる人に世界一のおもてなしをする気持ちで過ごしている」と、観光客らを笑顔で見守る。 (中山岳)
ヒルズ内の四十三階建てツインタワーを中心にした「レジデンス」に住む八百世帯と、テナント、企業関係者が自治会に加入する。再開発前から地元で暮らす住民は四〜五割ほど。住民やオフィスワーカーらは、夏祭りや月に一度の清掃活動などでつながりを深めてきた。「あっという間の十年。住民同士のあいさつが増え、新しい知り合いや友人も増えた」と振り返る。
ヒルズができる前の六本木六丁目地区は、公団住宅や木造家屋がくぼ地にひしめき、狭い道路も入り組んでいた。江戸時代末期から続く金魚の卸売業の五代目社長だった原さんは、再開発へ地元の合意をまとめるのに力を尽くす。災害時に火事が燃え広がる危機感を持っていた。
再開発を主導し、昨年に七十七歳で亡くなった森ビル元会長・森稔さんとの思い出は、今も心に残る。地権者たちの意見から六本木ヒルズの名前を決めて森さんに同意を求めた時、「日本一のヒルズにしてください」と頼んだ。すると「世界一のヒルズにしましょう」と答えてくれた。
ヒルズの開業で、街は昼も外国人の会社員や観光客、家族連れが行き交う。来街者の累計は十年で四億人を突破。災害に強い「逃げ込める街」を目指す。東日本大震災時、レジデンスはエレベーターが一時止まっただけで、停電しなかった。
「本当に世界一のヒルズになるには百年かかるかもしれないが、これからできる都心の街のお手本になりたい」。森さんとの思い出を胸に、人々に愛され続ける街の未来を夢見る。
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