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商業・流通

1400チバQ:2011/05/21(土) 09:59:18
http://www.topics.or.jp/special/130440290019/2011/05/2011_130440333845.html
第1部・歴史(1) 商都
歳月重ね変わる風景 2011/5/1 15:14

 商店街はかつて、そこに足を運ぶだけでわくわくし、心に潤いを与えてくれる場所だった。いわば、街の「色気」に当たる都市機能の一つでもあった。徳島市の中心市街地は再生できるのか。その歴史を振り返りながら、内町・新町で始まる再生への動きや全国の先進事例を紹介する。

      ◇ 

 徳島市の中心商店街にこれほどの人出が戻ってきたのは、何年ぶりだろう。4月の最終日曜日となった24日、東新町と籠屋町のアーケード内は人の波で埋まった。

 お目当ては、新町周辺で毎月最終日曜日に同時開催される三つの催し。紺屋町の「徳島わくわく日曜市」、しんまちボードウオークでの欧風産直市「とくしまマルシェ」、その間を結ぶ東新町と籠屋町両商店街での「とくしまグルメフェスタ」がそれだ。

 日曜市は2008年12月、マルシェは昨年12月、グルメフェスタは今年1月から始まった。それぞれ開始時期は違うものの、食をテーマにした三つの催しが今年から連動したことで、街に周遊性が生まれた。

 「うれしいですね。やり方次第でこれだけの人が集まるんですから。東新町も全盛期からは大きく変化したけど、新町が不便になったわけじゃない。あとは知恵の出し合いですよ」

 揺れる人波を感慨深く眺める人がいた。商店街の変遷を長年見てきた竹原俊二さん(70)=「竹原」代表取締役。東新町1丁目商店街振興組合の理事長を1991年から20年間務め、今年2月に次の世代にバトンタッチした。

 その次世代グループの中から理事長に就いたのは、原田吾朗さん(50)=宝飾・時計・眼鏡販売「ハラダ」代表取締役。「食でこれだけ人が動員できるというのは新たな発見。アレンジしながら、人が来やすい環境をつくっていくのがわれわれの役目です」と力強く語った。

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 徳島市の中心商店街の歴史は、城下町の形成時期までさかのぼる。1585(天正13)年に藩祖・蜂須賀家政が入国し、最初に手掛けたのが城山に近い内町の町づくり。ここに尾張(愛知)や播州竜野(兵庫)、堺(大阪)などから招いた商人を住まわせ、大名向けに武具や生活必需品を提供させた。

 ほどなくして新町地区にも町人を相手にする商人が集められる。内町の御用商人に比べて規模が小さく、新興の商人だったが「1630年ごろには新町も内町と差がないほど繁盛していた」(徳島城博物館・根津寿夫学芸員)という。

 近世から近代を経て、新町は戦後の1970年代に全盛期を迎えた。40代以上の人にとっては、東新町商店街は思い出の宝庫であるに違いない。

 記憶に残る情景はいくつもある。丸新屋上にあった遊具の飛行機。丸新前で甘い香りを漂わせていた天津甘栗の屋台。ニコニコヤの店先でシンバルをたたくおもちゃのチンパンジー。階段に列をなして上映時間を待った映画館・・・。歳末の休日には、通行客の肩がふれあうほど街は込み合った。

   □ ■ □

 だが、長い歳月を経て歴史的に形成されてきた商店街も、いったん衰退を始めると驚くほど短期間で疲弊が進む。

 市と徳島商工会議所が74年から行っている中心商店街の通行量調査によると、新町地区は74年に約4万人いた休日の歩行者数(1日当たり)が、昨年は1575人にまで減少した。理由は単純ではない。ただ、こうした傾向に何とか歯止めを掛けようと、商店街や行政がずっともがいてきたことも事実だ。

 中心市街地には「活性化」や「再生」が際限なく求められてきた。なぜなのか。徳島経済研究所の田村耕一専務理事(60)はいう。「中心市街地は『街の顔』。街ににぎやかな場所があることが、地域全体の魅力になる。よそから来たくなるような魅力ある街にすることが、この先の人口減社会では特に重要なんです」。(谷野圭助)


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