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国際政治・世界事情

913名無しさん:2009/10/01(木) 11:19:12
せっかく本を引っ張り出したので>>912の続きも。

>>66年までのドイツ連邦共和国前半期においては、自由民主党の主導権を握っていたのは、そのうちの右派であり、同党は、とくに60〜67年にはE・メンデを党首として、社会民主党の経済・社会政策を批判する立場からキリスト教同盟民主・社会同盟と「ブルジョア・ブロック」を組み、後半期には、とくに69年以降、左派のシェール(党首、のち大統領)、中道派のゲンシャー(のち外相)らの主導下に、教育・文化政策並びに外交政策の側面でキリスト教同盟民主・社会同盟を批判して、社会民主党と組んで「社会・自由」連立政権をつくることになる。その意味では、同党は、西ドイツにおいて、比例代表制を基本にした結果不可避となった連合政権政治において、左右の間に入って多数派形成の「かなめ」を占める「かなめ党」としての役割を果たしていると言える。
 また、同党の支持基盤は、非カトリック系のリベラル派経済人、知識人、自営業者、ホワイトカラーであるが、党内における上記のような左右の対立に加えて、その地方組織が地域的に性格を異にすることもあって、党内紛争が絶えることがなく、有権者に混乱したイメージを与えてじりじりと衰弱し、とくにドイツ連邦共和国後半期に入ると、5%条項を満たすことができずに連邦議会に議員を送り込むことができなくなるのではないか、という危機にしばしば直面している。<<

引用が長くなりましたが、色々と興味深い解説なので。
ちなみに1990年の本なので記述が少し古いです。


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