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国際政治・世界事情

678千葉9区:2009/06/17(水) 22:33:17
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090616/mds0906162244017-n1.htm
イラン 難しい改革派の引き際 革命後最大の反政府デモ (1/2ページ)
2009.6.16 22:43

このニュースのトピックス:イラク
 【テヘラン=村上大介】イランで強硬保守派の現職、アフマディネジャド大統領が圧勝した大統領選挙は、1979年のイスラム革命以降初めて、数十万人の市民が街頭に繰り出して体制への不信をあらわにするという異例の事態へと発展した。「不正疑惑」に端を発した抗議行動だが、革命から30年を経て保守派が独占する現体制に、多くの国民が抱く強い閉塞(へいそく)感が噴出したものだ。

 今回の抗議行動の直接の焦点は、選挙に不正があったかどうかであり、「勝利」を確信していた改革派のムサビ元首相の陣営は、政府に「再投票」を要求し、支持者らの連日の抗議デモにつながった。「100万人規模」と報じるメディアもあった15日のデモでは、テヘラン中心部は人波で埋め尽くされ、人々は「独裁者を打倒せよ」「われわれの票はどこに消えた」と叫んで、デモは反大統領、反政府デモの色彩を強めている。

 改革派が主張するような不正があったかどうかは不明だが、「選挙不正」という大義名分は、改革派支持者たちが体制への不満を爆発させるのに十分だった。

 では、改革派支持の市民が抱く閉塞感とは何か。

 革命後のイランは、(1)イラン・イラク戦争で革命体制が脅威にさらされ、国民が一丸となって“外敵”と戦った80年代(2)革命指導者ホメイニ師の死去後、80年代に主導権を握っていた左派(現在の改革派)との権力闘争に勝利した保守派支配の90年代(3)保守派が実権を握る中で、ハタミ前大統領が挑戦した社会の自由化という97年からの“改革派の実験期”(4)2005年のアフマディネジャド氏の大統領就任と強固な保守派支配の確立−という段階を経てきた。

 この間に一貫して変わらなかったのは、イスラム法学者である最高指導者とイスラム体制を維持するために設けられた護憲評議会などの諸機関が、三権を代表する国会、政府、司法機関を監督・指導するヴェラヤティファギ(イスラム法学者による統治)という革命体制の根幹だった。

 国民の多くは、選挙で大統領や議員を選んでも、上部機関の干渉で何も変わらないという無力感を抱いており、それが、イラン革命前夜の大衆抗議行動の始まりを想起させるような今回の光景の起爆剤となったことは間違いないだろう。

 ただ、改革派はイスラム体制を否定しているわけではなく、ムサビ氏が選挙戦で「女性への社会的な制限の緩和」などを訴えたように、イスラム体制下で「より息のしやすい自由な社会を実現する」というのが基本的な主張だ。

 改革派は都市部の中産・富裕層や知識層を支持基盤とし、保守派は地方や都市部の貧困層の支持を中心とする。両派支持層の間の社会的な亀裂が広がっていると指摘されているが、地方には、素朴にイスラム体制を支持する人々が依然多いことも無視はできない。

 今回に似た抗議行動では、1999年のテヘラン大学を中心とした学生デモがある。だが、改革派はいま、ムサビ氏という象徴と「選挙不正」という大義を得て学生デモとは比較にならない動員力を誇示している。最高指導者ハメネイ師やアフマディネジャド大統領ら体制側には大きな脅威と映っているだろう。

 一方、ムサビ氏ら改革派指導者が、再集計などで体制側と安易に妥協する姿勢をみせれば支持者らの失望をかうことになり、改革派としても抗議行動をどこまでつづけるのか、難しい判断を迫られよう。


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