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国際政治・世界事情

2640チバQ:2011/06/08(水) 20:40:29
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110608/amr11060820030008-n1.htm
期待と戸惑い…日系社会が見た選挙 ペルー大統領選、苦い歴史への思いも
2011.6.8 20:02 (1/2ページ)

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ケイコ氏について語る日系2世、3世の女性たち(黒沢潤撮影)
 当選すれば世界で初めての「日系女性大統領」となるはずだった、ペルーのフジモリ元大統領(72)の長女ケイコ氏(36)。ケイコ氏の挑戦、敗北を同国に住む約9万人の日系人は期待や戸惑いなど、さまざまな思いで見つめていた。(リマ 黒沢潤)

 「ケイコの出馬には最初反対だった。問題が起きれば日系人にまた“災難”が降り掛かるから」。首都のリマ近郊で大農園を営む日系2世のユキコ・フクダさん(70)はこう語った。

 「また」とは、「フジモリ政権下の汚職などで日系人が迷惑を被った」(外交筋)1990年代後半を指す。リマには当時、「日本人よ帰れ」の看板が立ち、日系人は肩身の狭い思いを強いられた。

 日本初の契約移民がペルーの土を踏んだのは1899(明治32)年。1940年5月には日米関係の悪化に伴って、親米的なペルーでも日系人への反感が強まり、日系商店への略奪など排日暴動が起きた。翌41年には米国の要請に応じて約2千人の日系人が北米の強制収容所に送られた。

 こんな過去の苦い歴史とフジモリ政権時代の教訓から、日系人たちは「目立たぬよう」に生きてきた。

 このため、4月の大統領選第1回投票では「日系人社会に近すぎるケイコではなく、(経済学者の)クチンスキ候補に投票する仲間が多かった」(2世のヤスコ・ナグラさん)。

 ただ、ケイコ氏が6月5日の決選投票に駒を進めると、多くの日系人が“腹”を決めた。電気店を営む2世のルイス・ヒラオカさん(61)は「一連の事件でフジモリ元大統領は日本に逃げたが、ケイコは逃げなかった。そんなケイコを今回、応援した」と語る。

 だが、結果は約3ポイント差の敗退に終わった。

 リマにある日系人施設「日秘文化会館」では、ケイコ氏敗北を惜しむ声が聞かれたが、ある日系人は「『誠実』や『勤勉』という日系人への評価は、100年かけて築き上げられたもの。フジモリ元大統領に続いて、もしケイコが失政をしたら、日系人社会は完全に“息の根”を止められたかもしれない。ホッとした気持ちがあるのも事実」と話した。


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