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文部スレ

3902とはずがたり:2019/03/21(木) 23:51:25
小気味佳い呉座氏のファンになりそうだが,歴史学では下っ端故にこんな下らない論争に駆り出されてるのであろうし,またこんな下らない論争に時間を奪われて未だ未だ究めなければならない本業が滞らないか本気で心配している。

在野の歴史研究家に望むこと
2019年03月21日 16:00
http://agora-web.jp/archives/2037900.html
呉座 勇一

井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが、一蹴されていないことは私が週刊ポストで指摘した通りである。レフェリー顔してしゃしゃり出てくる前に、己の不明を恥じてはいかがだろうか。

在野の歴史研究家が「アカデミズムの歴史学者は答えを出していない。怠慢だ!」と批判する事例は、史料が乏しくて決定打が出せないものばかりである。史料がないから歴史学者が慎重に解答を留保している事象について、在野の歴史研究者が勝手に妄想して「謎を解いた!」と一方的に勝利宣言しているだけである。

八幡氏は「井沢氏の主張のどこがおかしいかを具体的に指摘することにも社会的な意義があるから、しっかりやってほしい」と私に注文をつけるが、学者の社会的貢献の本筋は歴史学の最新の研究成果を市民に伝えることであって、奇説トンデモ説を論破することではない。

そもそも井沢氏(ついでに言うと八幡氏もだが)がおかしな陰謀論を唱えなければ、私がわざわざそれを批判する必要もなかったわけで、在野のトンデモ歴史研究家によって、教育普及活動を行っている歴史学者は足を引っ張られているわけである。妨害している当の本人が歴史学者に「もっと教育普及活動に力を入れろ。百田・井沢の説をきちんと具体的に批判しろ」と言うのは、泥棒が「盗難事件が多いのは警察がだらしないからだ。もっとちゃんと仕事をしろ」と文句をつけるようなものである。

なお私が八幡氏の歴史本の内容に関して具体的な批判を行わないのは、八幡氏の主張の方が井沢氏のそれより堅実で優れていると考えているからではなく、井沢氏の著作に比べて社会的影響力が微少で無視しても大きな問題はないと判断しているからにすぎない。この点は誤解ないようお願い申し上げる。


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