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文部スレ
2833
:
とはずがたり
:2016/02/09(火) 15:12:10
>>2831-2833
?ローマ教会としては、そのような影響を黙視することはできず、オックスフォード大学教授ウィクリフの死後30年も経過した1414年「コンスタンツ宗教会議」で彼を異端と宣告、まず共鳴者であったボヘミアのフスが翌年、火刑に処せられます。
?しかし勢力は抑えられず、何と死後40年以上経ってからウィクリフの遺体は掘り起こされ著書と共に燃やされ、遺骸は川に投げ捨てられるといった、因果な経過をたどります。
?宗教論争はいったん泥沼に填まるとどうしようもないことになる。そういうとき物事に白黒をつけるのは実験事実、ファクトにほかなりません。
?中世スコラ哲学の府として誕生した大学が、その後の長い命脈を保つ大きな力になったのはルネサンスによる古代ギリシャ・ローマ学芸の再興、とりわけ実験科学の復興が大きな力になったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチらの名や「聖俗革命」を巡る様々な歴史を想起すれば自明なことでしょう。
?つまり、社会的には生死を分けるような重大時に関して、事実に基づいて確かな英知を生み出していく伝統を「宗教改革」ならびに自然・社会様々な面での発見と変革(地球球体説の確認からケプラー・ニュートン力学の完成、英国、米国、フランスなどの社会革命など)を通じて数百年越しに確固たるものにしてきたのにほかなりません。
?そういう意味ではハーバード大学の原点も同じところにあります。
?31歳の若さで逝去したイングランドからの移民ジョン・ハーバードは英国における宗教改革派ピューリタン(清教徒)の牙城であったケンブリッジ大学エマニュエル・カレッジで学び、1637年、清教徒の新天地として「新しいイングランド」米国のニューイングランドに移民します。
?しかし、到着翌年の1638年に結核で死亡、遺産の土地建物と蔵書が寄付されて「最初の米国植民地高等教育機関」が設立される機縁となりました。
?ハーバード本人は宗教改革を闘いましたが、ハーバード大学はその必要がなかった。逆にWASPつまり白人でアングロ・サクソンでプロテスタントである、彼らの末裔が、現在に至るまで米国の由緒あるエスタブリッシュメントを形成しているわけです。
ファクトと学位
?欧米でこのような背景を持って生まれ、発展してきた「大学」は、ときに血で血を洗う宗教戦争の正当化を互いに争うなど、全く洒落にならない歴史を重ねてきました。
?学位や業績に対する評価は「非常にシビアかつ客観的」です。端的に言えば、誰が見てもきちんとしているものだけが通り、そうでないものを認めているなどと分かった日には大学も教員も社会的信用を失います。
?このレベルが怪しいのが、日本など東アジア後進国の「後発大学」の痛いところにほかなりません。
?すなわち少数の談合で黒を白と言いくるめても、それを権威主義で押し通すといったことがまかり通るのは、日本の近代大学第1号である東京大学を筆頭に、旧幕府由来の「官学」体質を引きずっているから、と明確に起源を特定することが可能と思われます。
?こういうことは欧州で洒落にならない歴史を経てきた大学では起こり得ない。2011年の東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故以降「御用学者」という表現が多く用いられましたが、そのような体質があるとすればお上の御用として幕府から明治政府に受け継がれた官学体質にその根を求めることになります。
…(以下略)
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