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労働運動

10とはずがたり@レス異動:2005/05/22(日) 13:10:49
214 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/30(木) 19:58

http://mytown.asahi.com/ibaraki/news02.asp?kiji=6549
改革の陰で(1)/職と生きがい失う

■雇用不安
 昨年5月29日夜、休暇でくつろいでいた自宅の電話が突然鳴った。「会社がつぶれちまったぞ。機械を今すぐ止めろとよ」。同僚からだった。
 自宅からほど近い高萩市の日本加工製紙高萩工場へと自転車を走らせた。「うそだろ」と頭の中で繰り返した。業績が悪いと聞いていた。01年はボーナスが支給されなかった。
 「でも、自分の目で確かめるまで信じたくなかった」

 正門前には従業員の人だかりができていた。「関係者以外は入れません」。管財人の言葉に「もうおれたちは関係者じゃないんだ」と実感した。


 55歳になる元社員は、高萩工場で36年間、紙づくり一筋で生きてきた。パルプ原料を乾燥させて原紙をつくり出す「抄紙機(しょうしき)」の担当だった。会社は1965年に高萩パルプと日本加工製紙が合併してできた。入社は合併の翌年で18歳だった。

 高度成長期。毎年のベースアップは2、3万円が当たり前だった。機械の調子の探り具合や紙が切れた時の処置の仕方は、先輩の背中を見つめながら腕を磨いた。

 オイルショックで一時生産は落ちたが、その後も順調に生産を続けた。バブル経済になると、生産体制に拍車がかかった。抄紙機は24時間、フル回転した。「ずいぶんやったね」「いやいや、機械の調子がよかったんだよ」。そんな会話が交わされた。

 だが、バブルははじけ、製品が売れなくなり、倉庫は在庫の山になった。回り続けた機械は生産停止を余儀なくされた。830億円の負債を抱えて倒産した。県内の関連会社など900人を超える従業員が職を失った。

 高萩公共職業安定所によると、同社の倒産直後は管内の就職希望者が731人だった。今月22日現在、450人が再就職した。しかし、市内に家族を残して単身赴任する人も多い。現在、彼を含めて29人が求職者として登録しているが、そのほとんどは中高年だ。あと約300人がどうなったかは、職業安定所でも把握できていない。すでに就職をあきらめた人がいると推測されるという。


 倒産後、複数の製紙会社が受け皿として名乗りを上げた。しかし、いずれも断念した。最近まで進出を計画していた新日本加工紙も、22日になって断念を市に伝えた。
 抄紙機が動かなくなって1年余りが過ぎた。倒産前の給料は月約50万円だった。月々28万円の雇用保険で食いつないできたが、6月で切れた。妻(57)がやりくりしてくれた金で生活するしかない。


 11年前に買った自宅のローンは、今年4月に貯金などで完済した。「家だけは絶対に取られるわけにはいかないから」

 期待していた製紙会社への就職の望みは絶たれた。「本格的に仕事を探さなくては」。職種、給料、条件は問わない。しかし、中高年の離職者を採用した企業に支給される国の「緊急就職支援者雇用開発助成金」も終了した。

 以前は、労組員として選挙運動に積極的にかかわった。でも今回の総選挙は、政党とか、もうどうでもいい。「金がないのもつらいけれど、仕事ができない寂しさのほうが大きい。仕事をください。ただそれだけです」


 今回の総選挙で、生活の厳しさに直面する有権者は「1票」に何を託すのか。改革の「光」と「陰」。改革の足元で聞こえる嘆きに耳を傾けた。

(10/30)


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