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労働運動

1とはずがたり:2005/04/29(金) 21:14:23
連合…民主党系
http://www.jtuc-rengo.or.jp/new/
全労連…共産党系
http://www.zenroren.gr.jp/jp/
全労協…新社会党系
http://www.zenrokyo.org/
大原社会問題研究所
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/
戦後の労働組合の歴史
http://homepage3.nifty.com/54321/roudouundoushi.html

3水泡 まつ太朗:2005/05/02(月) 00:57:13
>>2
 残るところの大半は5月1日開催でした。和歌山みたいに連休を完全に外して
24日などに開催するところも。
 メーデーならぬエープリルデー、なんかエープリルフールみたい・・・。orz

6片言丸 </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2005/05/12(木) 02:35:16
>>5
しかし、吸ったら、積立金返還のみならず退職ですからね。
なんとも過激な会社ですよね。
絶対に喫煙者は要らない、という主義の経営者なんでしょうが・・・。

7とはずがたり:2005/05/12(木) 07:55:07
吸ったら解雇の方は法律違反では無いんですかねぇ?

8とはずがたり:2005/05/12(木) 08:20:57
戦後の労働運動の構図は総評=社会党,同盟=民社党,中立労連=中間派って位置づけだと思うんですけど新産別は何系だったんでしょうかねぇ。共産党は統一労組懇だが,結成されたのは結構あとだ。

戦後直ぐは社会党系の同盟と共産党系の産別会議で,その後合同して全闘となったがGHQに解散させられて同盟や総評,新産別などが出来たようだが。

http://homepage3.nifty.com/54321/roudouundoushi.html

新産別と共産党かと思ったが,連合と合同するし綱領としては以下のように謳ってるし反共のようである。

五、われわれはファシズムおよび共産党の独裁政権に反対し、彼等の企図する暴力革命を粉砕し、平和革命の達成のために社会民主々義政党と協同し、民主々義の徹底を通じて社会主義の実現を目標として闘う

われわれは、あらゆる産業のあらゆる職場で赤のベルトを断ち切った。共産党の組合支配は日に弱まり、彼らのもくろむ赤色労働組合は、日に戦線を収縮しつつある。かくて組合を組合員の手に取りかえしたわれわれは、組合の基本目的にかえつて、資本に対する積極的な攻撃を充実せしめる仕事にうつらなければならない。実質賃金切下の資本攻勢の中では、民主的な団結の力の発現によってのみ、さらに共産党の破壊勢力を抑制しつつ労働条件を守り高め、かつ吉田内閣の反動的な政策に誘導されて出現するあらゆる型のファシズムと闘い、これに打ち勝つことができるからだ。すでにしてわれわれの歴史的な仕事は、民主的に結合された労働者の力と、その力の合理的な行使のみが、資本に対して持久力ある闘争力をやしなうことを実証し、かつ、その闘争力のみがあらゆる種類の組合支配を排除して労働者の利益と権利をまもるのであることを、日常闘争の中で積極的にうらずげてゆく段階となった。
一九四九年一二月一一日
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/23/rn1951-453.html

9とはずがたり@レス異動:2005/05/22(日) 13:06:24
186 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/09/29(月) 19:54

http://mytown.asahi.com/tokushima/news01.asp?kiji=3569
会社前で「辻立ち」1年

  大塚製薬(東京都)の大塚ライフサイエンス事業部大塚アッセイ研究所(徳島市川内町)に勤務していた「元従業員」3人が毎朝、会社の正門前に立ち、「解雇の不当性」を訴えている。昨年9月から始めて1年余。3人は労働契約上の地位確認などを求めて東京地裁で同社と争っている。所属していた研究所が別の企業に事業譲渡され、勤務地が埼玉県になったが、転籍を拒んだためだ。 

 徳島市川内町の大塚製薬徳島第2工場。鳴門市の別宮(べっく)裕一郎さん(31)ら3人が毎朝午前7時半ごろから約30分間、正門前に立つ。「解雇を撤回しろ」と書いた横断幕を掲げ、車で通勤してくる従業員らに、拡声機で「労働者はぜい肉ではないぞ」と声を張り上げる。ほかの企業の労組員5、6人も支援する。

 3人が勤めていた「大塚アッセイ研究所」は同工場の敷地内で、血液や尿成分の分析など臨床検査を受託していた。

    ■   ■

 別宮さんらによると、同研究所の従業員約110人が、会社側から研究所の事業を経営合理化のため同業他社に譲渡すると知らされたのは02年7月8日。会社側は個別に各従業員と面談し、同年9月1日付で転籍して埼玉県内に引っ越すか、退職するかの選択肢を示したという。

 3人はそれぞれ一度は転籍か退職の選択をした。しかしその後、雇用継続を会社側に求めることができたことを知り、北島町の男性(42)と徳島市の男性(34)とともに、大塚製薬になかった労働組合を3人だけで結成した。別宮さんが委員長に就任し、会社側との団体交渉で「希望する従業員を配置転換などで残留させて欲しい」と訴えたが、8月末に雇用契約の終了を通告された。

 別宮さんは「会社から転籍か退職かを迫られた時は頭が真っ白になり、夜も眠れなかった」と打ち明ける。3人はいずれも徳島県で生まれ育った。子どもの教育や両親の世話のほか、住宅を購入してローンを抱えているため、埼玉県へ行くのは難しかったという。

 約110人のうち、約100人が転籍を選択し、残りは退職したという。3人は同年9月2日、正門前で「辻立ち」を始めた。

    ■   ■

 3人は同月、徳島地裁に地位保全を求める仮処分を申請したが却下され、高松高裁への抗告も03年5月に棄却された。「3人は一度は転籍か退職かに同意しており、会社側は一方的に雇用関係を終了させていない」などが理由だった。

 3人は同月、労働裁判に慣れている裁判官の多さなどから東京地裁に提訴。現在、ほかの企業の労組から支援を受け、預貯金を崩しながら争っている。

 別宮さんは「不安感は募るばかり。会社側は誠意ある対応をみせ、話し合いに応じて欲しい。自分たちは今でも大塚を愛している」と話す。

 関西大学の大塚忠教授(労使関係論)の話

 転籍か退職かを求める問題は、労働者側と会社側が十分話し合うことが必要で、会社側は従業員に説明責務がある。大塚製薬の場合、そもそも労働組合がなく、会社側の経験不足もあり、丁寧な雇用調整をしなかったのかもしれない。アメリカ型経営スタイルがもてはやされるなか、事業譲渡やアウトソーシング(外部委託)による転籍問題に絡んだ労使紛争はこれから増えるのではないか。

(9/29)

10とはずがたり@レス異動:2005/05/22(日) 13:10:49
214 名前: とはずがたり 投稿日: 2003/10/30(木) 19:58

http://mytown.asahi.com/ibaraki/news02.asp?kiji=6549
改革の陰で(1)/職と生きがい失う

■雇用不安
 昨年5月29日夜、休暇でくつろいでいた自宅の電話が突然鳴った。「会社がつぶれちまったぞ。機械を今すぐ止めろとよ」。同僚からだった。
 自宅からほど近い高萩市の日本加工製紙高萩工場へと自転車を走らせた。「うそだろ」と頭の中で繰り返した。業績が悪いと聞いていた。01年はボーナスが支給されなかった。
 「でも、自分の目で確かめるまで信じたくなかった」

 正門前には従業員の人だかりができていた。「関係者以外は入れません」。管財人の言葉に「もうおれたちは関係者じゃないんだ」と実感した。


 55歳になる元社員は、高萩工場で36年間、紙づくり一筋で生きてきた。パルプ原料を乾燥させて原紙をつくり出す「抄紙機(しょうしき)」の担当だった。会社は1965年に高萩パルプと日本加工製紙が合併してできた。入社は合併の翌年で18歳だった。

 高度成長期。毎年のベースアップは2、3万円が当たり前だった。機械の調子の探り具合や紙が切れた時の処置の仕方は、先輩の背中を見つめながら腕を磨いた。

 オイルショックで一時生産は落ちたが、その後も順調に生産を続けた。バブル経済になると、生産体制に拍車がかかった。抄紙機は24時間、フル回転した。「ずいぶんやったね」「いやいや、機械の調子がよかったんだよ」。そんな会話が交わされた。

 だが、バブルははじけ、製品が売れなくなり、倉庫は在庫の山になった。回り続けた機械は生産停止を余儀なくされた。830億円の負債を抱えて倒産した。県内の関連会社など900人を超える従業員が職を失った。

 高萩公共職業安定所によると、同社の倒産直後は管内の就職希望者が731人だった。今月22日現在、450人が再就職した。しかし、市内に家族を残して単身赴任する人も多い。現在、彼を含めて29人が求職者として登録しているが、そのほとんどは中高年だ。あと約300人がどうなったかは、職業安定所でも把握できていない。すでに就職をあきらめた人がいると推測されるという。


 倒産後、複数の製紙会社が受け皿として名乗りを上げた。しかし、いずれも断念した。最近まで進出を計画していた新日本加工紙も、22日になって断念を市に伝えた。
 抄紙機が動かなくなって1年余りが過ぎた。倒産前の給料は月約50万円だった。月々28万円の雇用保険で食いつないできたが、6月で切れた。妻(57)がやりくりしてくれた金で生活するしかない。


 11年前に買った自宅のローンは、今年4月に貯金などで完済した。「家だけは絶対に取られるわけにはいかないから」

 期待していた製紙会社への就職の望みは絶たれた。「本格的に仕事を探さなくては」。職種、給料、条件は問わない。しかし、中高年の離職者を採用した企業に支給される国の「緊急就職支援者雇用開発助成金」も終了した。

 以前は、労組員として選挙運動に積極的にかかわった。でも今回の総選挙は、政党とか、もうどうでもいい。「金がないのもつらいけれど、仕事ができない寂しさのほうが大きい。仕事をください。ただそれだけです」


 今回の総選挙で、生活の厳しさに直面する有権者は「1票」に何を託すのか。改革の「光」と「陰」。改革の足元で聞こえる嘆きに耳を傾けた。

(10/30)


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