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Tohazugatali Tourist Bureau

1とはずがたり:2005/04/29(金) 21:06:28
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温泉スレはこちらhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1075222919/l10

1805チバQ:2012/06/28(木) 23:41:29
>>1783-1784>>1799-1800>>1803
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120626-00000213-mailo-l34
30年目の“撤回”:鞆の浦架橋/上 「早期決着」トップに亀裂 /広島
毎日新聞 6月26日(火)15時14分配信

 ◇政治日程、住民要望で駆け引き
 25日午後、福山市役所。4回目のトップ会談は30分程度で終わった。湯崎英彦知事の判断を聞いた羽田皓市長は「住民合意とはほど遠い。新たな火種をまくことになる」と反発した。湯崎知事は会談後の記者会見で「あくまでも中間点。決着したとは露とも思っていない」。鞆の再生に向けた道のりの険しさを予感させた。
  ◇  ◇
 「架橋が知事の最終判断の中にないのではと懸念している」
 5月31日、羽田市長は定例記者会見で、憤りを押し殺すように語った。
 同市の幹部は驚いた。報道機関からの質問用に作成された答弁内容から外れ、悲観的なトーンに覆われていたからだ。「県がいつまでも姿勢を変えず、もう議論の余地無し、と感じたんだろう」。この幹部は羽田市長の心境を推測する。
 これに対し、湯崎知事は翌日(6月1日)の取材に対し、「(架橋か否かの)2項対立から抜け出られていないのだな、と改めて確認した」と発言。溝の深さがあらわになった。
 この時点で、前回トップ会談から2カ月が過ぎていた。「3月までに決着したかった」(県幹部)。1年8カ月に及んだ住民協議会が今年1月に終了し、県側は年度末までに判断を示したい意向だった。しかし、福山市側は、埋め立て・架橋計画を一切譲らなかった。古くからかかわる市幹部は「湯崎知事の就任前から何度も検討し、橋以外には鞆の生活改善につながらないと結論が出ていたはず」と言う。羽田市長は初当選した04年市長選で、一時凍結されていた架橋計画の「推進」を掲げた。非公開のトップ会談では、声を荒げて架橋を主張する一幕もあったという。
 6月にはお互いの定例議会があり、福山市長選の告示が7月末に迫り、政治日程が埋まりつつあった。湯崎知事は「今年中のできるだけ早い時期に決断したい」と繰り返し述べていた。年度が代わり、市の担当者は「強引にでも決めたいという思いがひしひし伝わってきた」と振り返る。
 4月下旬、推進派住民らは県と市に、会談内容の公表を申し入れた。反対派は会談の完全公開を求めた。「公開される以上、物別れとなると格好がつかない。最終判断か、それに近いものを出す必要がある」(県幹部)。双方住民の声が県側の動きを加速させた。
 トップ会談の日程を巡る両者の交渉は、市長発言後に本格化した。市は公務や市議会、選挙準備を理由にかわしてきた。県は定例議会の開会中は避けたい意向だったが、林正夫議長は「(架橋の是非は)議決が必要な案件ではない。しっかりと(県側から)説明があれば問題ない」と容認する姿勢を見せた。とはいえ、26日には知事が答弁に立つ一般質問が始まる。25日はギリギリの日程だった。
 しかし、会談では両トップの亀裂が露呈した。羽田市長は「地元の8割は架橋計画の推進派」と述べて、「住民の理解を得られないから凍結、という事態はあってはならない」とくぎを差した。
  ◇  ◇
 鞆の浦の埋め立て・架橋計画は25日、県が撤回を表明し、83年の計画策定から30年目にして、重大な転換点を迎えた。鞆地区住民の暮らしの利便性と、歴史景観の保全をどう両立させるか。方針転換の舞台裏や、これからの課題などを追った。

6月26日朝刊

1806チバQ:2012/06/28(木) 23:42:02
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120627-00000274-mailo-l34
30年目の“撤回”:鞆の浦架橋/中 減る人口「平消えるのか」 /広島
毎日新聞 6月27日(水)17時15分配信

 ◇遠い「街」高齢者は買い物難民
 消波ブロックに囲まれた浜に、段ボール箱に入った野菜や果物が並ぶ。「じゃあ、このカボチャ、あとで家まで持ってくからねえ」「ありがとうねえ」。手押し車を押す高齢女性は、ゆっくりと来た道を戻っていった。
 架橋計画の発端となった福山市鞆町の狭い県道の奥。鞆の中心街から南西に約1キロの平(ひら)地区は、斜面にへばりつくような集落だ。この数年でスーパーも八百屋も消えた。週2回、福山市北部の駅家町から食料を売りに来る夫妻が、足の弱い高齢者にとって数少ないライフラインだ。
 夫妻は06年ごろ、スイカ売りの途中に初めて平地区に来た。「今度はお米も売って」「お肉はないの?」と住民にせかされ、品数は次々増えた。重い野菜や米は、妻(65)が迷路のような坂を上って配達もする。
 しかし、集落は高齢化が急速に進む。なじみの客も年間10人ほどが鬼籍に入っていく。常連客が買い物の直後に急死し、次に来た3日後には葬儀が終わっていたことも。夫(70)は「体が動く限りここで働きたいが、お客が今後増えることはない。先は分からない」
 83年の架橋計画決定から約30年。町並みは変わらなくとも、暮らす人々は確実に年齢を重ねた。64年以降、鞆町の人口は減少の一途をたどる。当時1万3000人だった人口は、今年度は4600人を切った。うち4分の1は75歳以上。特に高齢化率の高い平地区では、今後、加速度的に減少すると予想される。主が亡くなるなどして増えた空き家も、07年の市調査で2割弱に上った。
  ◇  ◇
 「道がつくけえ。町まで近うなる」
 約60年前、学校からの帰り、山の中腹まで広がるミカン畑に立てられた木のくいを不思議に思った胡(えびす)政次さん(71)は、祖母の返事に驚いたことを覚えている。先を赤く塗った四角いくいは、県が道路用地として買収する土地に立てたものだった。交通の便の悪さから、鞆町中心部の同級生に「平べえ」とからかわれたこともあった。くいは中心部に向かって続いていた。この道が現在の県道で、架橋につながるはずだった。その先に、明るい未来が見える気がした。
 しかし今回、計画の撤回が決まり、長年の夢は消え去った。県は鞆の中心街を迂回するトンネルをバイパス案として示したが、平地区にとって交通の便はほとんど変わらないからだ。平地区の最も奥「旧平3丁目」に住む水本久登・平町内会連合会長(74)は「インフラ整備が止まっても、住民は年を取るし、若手は故郷を捨てて出ていく。わしらは当たり前の生活もさせてもらえんのか。このまま平は消えていくのか」といらだちを口にした。

6月27日朝刊

1807チバQ:2012/06/28(木) 23:42:35
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120628-00000233-mailo-l34
30年目の“撤回”:鞆の浦架橋/下 「合意形成」住民翻弄 /広島
毎日新聞 6月28日(木)16時4分配信

 ◇問われる知事の手腕
 「景観は大切だが、住民の生命や安心を守るために架橋はやむを得ないと訴えてきたのに、『景観は大切』という部分だけを切り取られた」。大浜憲司・鞆町内会連絡協議会長(64)の憤りは収まらない。
 湯崎英彦知事の提案で10年5月から1年8カ月、19回を重ねた住民協議会。大浜さんは架橋に賛成する立場から、反対派とのテーブルに着いた。湯崎知事は協議を踏まえて「景観は尊重されるべきという住民のコンセンサス(総意)を重視した」と説明する。しかし、大浜さんは「そんなことは、誰でもわかりきっていることだ」。
 早期に鞆の住民向けに説明会を開く意向の湯崎知事も「多数が架橋を希望している」(25日の記者会見)と認める。地元理解のハードルは低くない。
  ◇  ◇
 訴訟当事者である県が、鞆の地域振興を巡る賛否両派住民の合意形成を図れるのか。住民協議会は、懸念を抱えての出発だった。
 「鞆のまちづくりのために今何ができるかを話し合う場がようやくできた」(松居秀子・訴訟原告団事務局長)。「知事に白紙委任するわけにはいかなかった」(北村武久・明日の鞆を考える会会長)。協議に着いた双方は「同床異夢」ともいえる関係にあった。
 湯崎知事は初回協議の終了後、「住民の意見を十分に尊重して最終的にいい案をまとめたい」と説明し、その後も折に触れて「合意形成を図ることは不可能ではない」と繰り返し強調してきた。
 道路の安全性の確保や鞆地区の将来像、景観保護……。協議は項目ごとに進んだ。幅の狭い県道の問題は、双方の認識は共通しており、一部に離合場所を設置するなどの成果を生んだ。松居さんらは県の姿勢の「変化」を感じた。鞆地区を通過する車両の通行量や各バイパス案ごとの通行短縮時間などが、具体的数値を伴う形で示されたからだ。「何度求めても出なかった客観的な資料が出た。架橋でなくても課題は解決できると証明されつつある」。反対派は手応えを感じ始めていた。
 しかし、架橋の是非という核心部分では平行線をたどった。「このままでは双方に禍根が残る」。昨年3月の第10回会合で仲介役の弁護士は協議延長を提案した。推進派からは「これ以上、何を話し合えというのか」と不満が噴出した。反対派からも「もう翻弄(ほんろう)しないで」との声が挙がった。
 協議会は、仲介役が▽バイパス道路の有用性への理解が一定程度進んだ▽駐車場の確保や下水道整備、港湾機能の確保は必要▽住民は鞆の歴史や伝統に誇りを持ち、景観を愛し、再生させたい−−など8項目の「共通認識」をまとめて終了した。しかし、今年1月に地元住民向けに県が開催した説明会では、推進派の出席者から「どこが共通認識なのか」「議論は無駄だった」と批判が渦巻いた。地元の不信を残したまま、最終判断に至った。
  ◇  ◇
 計画決定から約30年が経過し、景観や文化的財産に対する世論は変わった。湯崎知事は「景観だけを重視したわけではない」と言うが、「中長期的に考えて、江戸時代からの町並みや港の風景を観光資源として保全・活用することは、非常に重要」と説明する。しかし、地元の協力なくして、こうした方針は具現化できない。「景観行政のあり方に一石を投じた」という評価は、これからの湯崎知事の手腕によって決まる。
  ×  ×
 この企画は、稲生陽、豊田将志、寺岡俊が担当しました。

6月28日朝刊


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