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Tohazugatali Tourist Bureau

1806チバQ:2012/06/28(木) 23:42:02
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120627-00000274-mailo-l34
30年目の“撤回”:鞆の浦架橋/中 減る人口「平消えるのか」 /広島
毎日新聞 6月27日(水)17時15分配信

 ◇遠い「街」高齢者は買い物難民
 消波ブロックに囲まれた浜に、段ボール箱に入った野菜や果物が並ぶ。「じゃあ、このカボチャ、あとで家まで持ってくからねえ」「ありがとうねえ」。手押し車を押す高齢女性は、ゆっくりと来た道を戻っていった。
 架橋計画の発端となった福山市鞆町の狭い県道の奥。鞆の中心街から南西に約1キロの平(ひら)地区は、斜面にへばりつくような集落だ。この数年でスーパーも八百屋も消えた。週2回、福山市北部の駅家町から食料を売りに来る夫妻が、足の弱い高齢者にとって数少ないライフラインだ。
 夫妻は06年ごろ、スイカ売りの途中に初めて平地区に来た。「今度はお米も売って」「お肉はないの?」と住民にせかされ、品数は次々増えた。重い野菜や米は、妻(65)が迷路のような坂を上って配達もする。
 しかし、集落は高齢化が急速に進む。なじみの客も年間10人ほどが鬼籍に入っていく。常連客が買い物の直後に急死し、次に来た3日後には葬儀が終わっていたことも。夫(70)は「体が動く限りここで働きたいが、お客が今後増えることはない。先は分からない」
 83年の架橋計画決定から約30年。町並みは変わらなくとも、暮らす人々は確実に年齢を重ねた。64年以降、鞆町の人口は減少の一途をたどる。当時1万3000人だった人口は、今年度は4600人を切った。うち4分の1は75歳以上。特に高齢化率の高い平地区では、今後、加速度的に減少すると予想される。主が亡くなるなどして増えた空き家も、07年の市調査で2割弱に上った。
  ◇  ◇
 「道がつくけえ。町まで近うなる」
 約60年前、学校からの帰り、山の中腹まで広がるミカン畑に立てられた木のくいを不思議に思った胡(えびす)政次さん(71)は、祖母の返事に驚いたことを覚えている。先を赤く塗った四角いくいは、県が道路用地として買収する土地に立てたものだった。交通の便の悪さから、鞆町中心部の同級生に「平べえ」とからかわれたこともあった。くいは中心部に向かって続いていた。この道が現在の県道で、架橋につながるはずだった。その先に、明るい未来が見える気がした。
 しかし今回、計画の撤回が決まり、長年の夢は消え去った。県は鞆の中心街を迂回するトンネルをバイパス案として示したが、平地区にとって交通の便はほとんど変わらないからだ。平地区の最も奥「旧平3丁目」に住む水本久登・平町内会連合会長(74)は「インフラ整備が止まっても、住民は年を取るし、若手は故郷を捨てて出ていく。わしらは当たり前の生活もさせてもらえんのか。このまま平は消えていくのか」といらだちを口にした。

6月27日朝刊


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