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Tohazugatali Medical Review

1262名無しさん:2010/02/22(月) 01:55:04
支障のない範囲内で余談カキコ

>>1260
15代会長の坪井先生は、『ガン回廊の朝』( 柳田 邦男著)で、国立がんセンターでの活躍ぶりが描かれていた方。懐かしいなー。

>>1261
>俺の持論の早稲田は?

昭和40年代から進む早稲田の悲願の医学部医学科。

関係者(その医学部出身者)から昭和時代に”直接”情報の確認がとれてる大学は
日医(日医大、日本医大)、順天(順天堂)、女子医(女子医大、東京女子医大) 。
(他は大学名だけ聞いてるだけでホントに早稲田からの働きかけがあったのか?未確認なので省略)

早稲田が一番最初に働きかけたのが日本医大(当時は東大合格入学辞退者入学数、慶大医についで2位の全盛期、当時は灘高生が毎年1名は入学するほどの難関校)。
古い卒業生たちが日本医大の伝統を重視し早稲田への校名の変更に強行に反対したそうな。

以下、某大学と表記。

忘れもしない昭和50年代のある日の未明(午前3時頃)。某大学の某救急にて。
「あのとき早稲田の医学部になっておけば良かったんだよ、世間の人から日大と間違われなくてすむ」
「本学は”医学界の早稲田”を自称している。早稲田の医学部になっておくのが自然だった」
(余談:学内でいろいろな騒動が起きていたとき医学界の”阪神タイガース”と呼ばれたこともあったそうな)

某医局内の雑談では早稲田の医学部になっておいたほうが良かったと言う人が多かったです。

〜〜幻の早稲田大学医学部〜〜(副題:文京区千駄木の医師たちのつぶやき)


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