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スーフィズムに関するHP

1スーフィズムに関するHP開設:2004/01/19(月) 15:34
はじめまして。

日本に在住のトルコ人です。この度、イスラームとスーフィズム、そしてトルコの紹介に関するHPを開設することになりました。このHPを通じて皆様と交流し、世界平和に少しでも貢献させて頂ければと思います。お時間のあるとき是非訪問して下さい。お待ちしております。
宜しくお願い致します。

http://www.yoyogi-uehara.net

1407とはずがたり:2016/02/12(金) 22:37:58
>サウド王家は歴代ワッハーブ家と婚姻を重ね、法学者らを“公務員化”して不満を抑え、支持者にした

サウード家とワッハーブ家の同盟
http://naotatsu-muramoto.info/rekisinobenkyou/saujiarabiasi/saujiarabiasi2.html

サウジが「イラン絶縁」で迎える歴史的な岐路
米国への信頼喪失に財政難の追い打ちも
http://toyokeizai.net/articles/-/100794
内田 通夫 :フリージャーナリスト 2016年01月24日

シリア、イラク、そして「イスラム国」(IS)と、混迷を深める一方の中東情勢。背後には、サウジアラビア対イラン、イスラム教の「スンニ派」と「シーア派」の盟主を自負する、両国の覇権争いの構図がある。南部ではイエメンで代理戦争が燃え上がる。

中東を二分する両国。イランが視野に入れる勢力圏は、イランとイラクを中心に、「シーア派ベルト地帯」が地中海からアラビア半島、北インドまで広がる。1979年のイラン・イスラム革命後、イランはシーア派ベルト地帯に革命の輸出を開始。レバノンでは、シーア派武装政党ヒズボラの育成に成功し、拠点を築いた。

一方、サウジアラビアの裏庭であるバーレーンなどGCC(湾岸協力会議)諸国は、首長(王家)はスンニ派ながら、住民はシーア派も多い。このすき間を突き、イランがシーア派を支援し、王政打倒運動を続けているという危機感が、サウジアラビアにある。その動きはシーア派が多いサウジアラビア東部州(ハサー地方)まで及ぶ。主要な油田は東部州に集中するが、サウジアラビアが征服して100年足らずで、歴史が浅い。

サウジアラビアによるニムル師の処刑

2011年には、シーア派による反体制運動が始まり、武装闘争に発展。その指導者がニムル師であり、2012年に逮捕された。その後、サウジアラビア政府によって、死刑判決が下され、処刑されたのが、今年1月2日だ。

報道が伝わるや、イランの首都テヘランにある、サウジアラビア大使館が焼き討ちに遭う。翌3日にすかさずサウジアラビアがイランと国交を断絶。4日にはイランに対する経済制裁を発表した。世界に向けて、「サウジアラビア対イラン」の対立が可視化され、放送されたのである。

サウジアラビアにとって、逆風はそれだけではない。最も痛手なのは原油安だ。中国の景気後退が顕在化し、世界でデフレ懸念が高まる。米ニューヨーク原油市場では、一時1バレル=30ドル割れまで急落し、リーマン・ショック時を下回る、12年ぶりの安値をつけてしまった。

両国の対立は、本来なら原油の供給不安から価格高騰をもたらすはずだが、そうはならない。「サウジアラビアとイランが戦争でもしないかぎり、原油価格は上がらない。危機も収束する」と、サウジアラビア情勢に詳しい保坂修司・日本エネルギー経済研究所研究理事は指摘する。

イランにはこれ以上、過激になれない事情がある。2015年には米欧と、核開発停止や経済制裁解除で合意し、履行プロセスの途上にあるからだ。サウジアラビアのムハンマド副皇太子兼国防相も1月7日、「イランと戦争しない」と早々に矛を収めている。

もっとも、サウジアラビアからすれば、イランが地政学的なライバルであると同時に、宗教的憎悪の対象になっていることに変わりはない。緊張関係は依然続く。

1408とはずがたり:2016/02/12(金) 22:38:25
>>1407-1408
財政赤字に転落したサウジアラビア

サウジアラビアの国内事情も見逃せない。孫崎享・元駐イラン大使は「処刑と断交はサウジアラビアの国内引き締めを目的に行われた。それだけ国内の矛盾が深まっている兆し」と指摘する。

そもそもサウジアラビアの起源と正統性の源泉は、18世紀のサウド王家とスンニ派ハンバリー法学に属するが、原理主義的解釈をする宗派であるワッハーブ派とも同盟関係にある。王権と宗派の狂信的情熱が合体し、過去にアラビア半島征服戦争に打って出た。それが今やサウジアラビア国教の地位に納まり、穏健なスンニ派原理主義に落ち着く。

サウド王家は歴代ワッハーブ家と婚姻を重ね、法学者らを“公務員化”して不満を抑え、支持者にした。しかし、国内には原理主義をまじめに受け取り、アル・カーイダやISを、慈善基金やポケットマネーで支援する富豪が少なくない。オサマ・ビンラディンも大富豪の地位を捨て教義に殉じた一人だ。

実際に処刑された47人のうちシーア派は4人。43人はアル・カーイダ系の王政に敵対した国民だ。これまでサウジアラビアは、イスラム法重視・反シーア派という価値観を共有する、アル・カーイダ系のヌスラ戦線やISを、ひそかに支援。が、パリ同時テロ以後、欧米で「IS主敵論」が急に高まり、国際協調とイスラム過激派支援という、“二股外交”が許されなくなった。処刑はイスラム過激派と縁を切る大きな決断を内外に宣言したと推測できよう。

さらには、サウジアラビアと緊密だった、米国との関係も微妙になってきた。「両国間の全面的信頼関係はもはや消えた」(保坂氏)。有事の際、湾岸戦争のように米国に安全保障を頼れるのか、との不信感が高まっている。

理由の第一は、イラン核開発協議で米国が妥協し、イランの国際社会復帰を許したこと。第二は、サウジアラビアが推進したシリアのアサド政権打倒が、米国の及び腰で挫折したことである。2013年にアサド政権軍が化学兵器を反体制派に使用したとき、米国がロシアの圧力に屈し、飛行禁止地域設定などの手段を取らなかったことが、アサド政権の延命につながったからだ。

焦るサウジアラビアは、国内外の変化に対処するため、イスラム圏で仲間集めを始めている。2015年12月には、サウジアラビアの首都リヤドに本部を置く、「イスラム軍事同盟」を結成し、34カ国が加盟。同床異夢の同盟で、軍事的実効性はないが、数を誇示することはできた。

原油価格下落によるサウジアラビアの財政難は深刻だ。2016年度予算は、2240億ドルの歳出に対して歳入は1371億ドルと、869億ドルもの赤字。ガソリンや電気・ガス、水道料金を大幅に上げる。政府内では付加価値税導入案もささやかれ出した。国民から税金を取らずにカネをバラまき、王政を支えてきたレンティア国家の基盤も揺らぐ。サウジアラビアは歴史的岐路に立っている。

(「週刊東洋経済」2016年1月23日号)


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