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2004年米国大統領選スレ

3225とはずがたり:2016/03/18(金) 19:33:31
興味深い。

「トランプ現象」を掘り下げると、根深い「むき出しのアメリカ」に突き当たる
http://www.newsweekjapan.jp/morley/2016/03/post-2.php
2016年03月11日(金)16時30分

「トランプ現象」を掘り下げると、根深い「むき出しのアメリカ」に突き当たる
 記事の冒頭にこちらの写真を貼っておく。後ほど解説するので、数秒間見つめていただきたい。

 ドナルド・J・トランプ氏を理解するには、まず彼の熱烈な支持者の心境に寄り添うことが必要だ。アメリカのリベラル系メディアはトランプ氏の大躍進に焦りを隠せず、来る日も来る日もひたすらこき下ろす記事を発信している。

 だが、ただ「おぞましい」「明らかな嘘を付いている」「支離滅裂な演説をする」「まったく実現不可能な公約を口走っている」「暴言がひどい」と羅列しているだけでは、トランプ氏の破壊力に太刀打ち出来ない。それどころか次にトランプ氏が仕掛ける扇動に対してあらかじめ免疫をつけることもできない。大手メディアや共和党のエスタブリッシュメントがトランプ氏を「許しがたき、恥ずべき存在」だと非難すればそれだけ、同氏の支持者は熱狂するからだ。「ざまを見ろ」と。

 この支持者たちは誰なのか?なぜ溜飲を下げているのか? 表面的な「トランプ現象」から、より地面の奥にあるレイヤーに向かって掘削していくと、あまり見たことのない地層に突き当たる。裸のアメリカと呼んでもいい。そのむき出しのアメリカを理解する上で鍵となる人物がいる。1968年の大統領選に独立系候補として出馬したアラバマ州知事、ジョージ・ウォレス氏だ。

 ニューズウィーク英語版が「トランプとジョージ・ウォレスの人種差別的な亡霊」という見出しでタイムリーな記事を発信している:

 ニューズウィークによれば、かつて人種平等に強く反対していたのは民主党だった。白人と黒人を区別することこそが、大多数の白人労働者の雇用と給料を保証する一番の方法だと考えられていたのだ。言わば「公序良俗を守るための差別」だった。しかし第二次大戦後、黒人の公民権を求める運動は次第に高まり、これが南部社会に強い亀裂を生みつつあった。そこにポピュリスト政治家として飛び込んだのがジョージ・ウォレスだった。

「今も明日も、そして永遠に人種は隔離する」
 ウォレスは心の底から人種差別を信じていたわけではなく、あくまで政治の小道具にした節がある。当初は黒人の人権を守ろうとする進歩派の判事だった。ウォレスは知事選に出馬するが、人種差別を前面に押し出した候補に大敗し、現実の厳しさを味わう。「選挙に勝たなければ意味がない」と悟ったウォレスは一転、熾烈な差別のレトリックでアラバマ州の白人たちの情緒に訴えるようになる。演説で吠えるように声を張り上げ続け、アラバマ知事選で圧勝。就任演説で、
 「今も明日も、そして永遠に人種は隔離する」
 という決め台詞も放った。そのフレーズを考案したスピーチライターはKKKの正式メンバーだった。ウォレスはこの成功体験で深く学習してしまった。

 アラバマ州知事になったウォレスは公民権運動に猛反対する姿勢を貫く。1963年、ウォレスは2人の黒人学生ジェームズ・フッドとヴィヴィアン・マローンのアラバマ大学入学を阻止するために、大学周辺を州兵で固めて自ら大学の建物の入り口に立ちはだかった。それはパフォーマンスだった。

 ケネディー大統領が司法省幹部を特使として2人の黒人学生に付き添わせ、2人の入学を認めるよう求める大統領布告を読み上げるまで立ちはだかり、この様子を取材させるために報道機関をあらかじめ呼び寄せた。南部の有権者たちに向けて、「州の権利や州民の伝統的な生活様式を破壊しようとする連邦政府にたった一人で立ち向かう勇敢な知事」 というイメージをアピールしたのだった。このパフォーマンスはニュースとして全米に報じられた。

 注目されたタイミングを見計らってウォレスは1964年の大統領選に出馬。民主党側の予備選で公民権への反対を訴え、ジョンソン大統領と対決。予備選で敗退したが、南部の州で善戦した。


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