したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

2004年米国大統領選スレ

2228とはずがたり:2014/12/24(水) 09:30:27
>>2226-2228
 チャベス前大統領が2011年キューバで腹部のガンの手術をしてから、すでに病状の進行について、キューバ政府は完全に掌握していたはずである。またベネズエラに軍事顧問を派遣していたキューバ政府は、社会経済の困難に見舞われたベネズエラ情勢を把握し、ベネズエラのポスト・チャベス後を見越した自国の体制維持に動き出していたとみて間違いないだろう。

 チャベス死去1カ月前の2013年2月には、キューバ人民権力全国会議はラウル・カストロ議長(当時81歳)の再任を決議したが、同議長は任期5年後の18年の引退を表明、同時に第1副議長に52歳(当時)のミゲル・ディアス=カネルが選出された。第1副議長は、ラウル議長と同様カリスマ性を欠くもののプラグマティズムの持ち主で、軍ともパイプをもち、経済改革への有能な行政手腕が評価され、ポスト・カストロ体制を託された。今年7月には訪問したロシアのプーチン大統領との間で、対ロシア債務の90%の免除という外交成果を得ている。18カ月の水面下でのアメリカとの交渉という時間の経過は、こうした環境の変化を説明するものだ。(2013年3月6日付「後継が定まったキューバ・カストロ体制」参照)

原油急落とローマ法王

 そこに、ここにきての原油価格の急落である。この激震が、政府収入の95%以上を石油輸出に頼る後継のベネズエラのマドゥーロ政権を揺さぶっており、日量10万バーレルの石油の供給にも赤信号が灯り始め、キューバ政府の決断を急がせたものと推測される。またアメリカ政府にとっても、キューバとの関係正常化交渉は、こうした苦境に立つベネズエラに対する圧力となり、ボリビアやニカラグアなど反米勢力への影響力も大きく外交的な巻き返しが可能となるであろう。

 さらにキューバでの民主化運動は、1998年のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪問と2002年のカーター米元大統領のキューバ訪問を機に勢いがついた。民主党とバチカンの役割である。2010年7月キューバ政府は2003年に収監された政治犯52人を釈放したが、それはカトリック教会の仲介によるものであった。今回は2013年3月に法王に就任した初の中南米出身(アルゼンチン)のフランシスコ法王で、その仲介が重要であったと、声明で大統領自ら謝意を表している。庶民派法王としてバチカン改革に取り組み、外交的にも存在感を増し、中南米におけるキューバ問題の感受性を深く理解している法王の存在が、関係正常化への決断に向けた大きな推進力になったといえよう。

交渉の前途には大きな障害

 とはいえ、両国の関係改善への交渉には大きな障害が立ちはだかっている。4月の米州サミットでのキューバ政府の参加に障害は除かれたが、「一夜に転換は期待できない」とオバマ大統領自ら今後の交渉には時間のかかることを声明で認めている。演説は、議会やキューバ政府、キューバの市民社会など各方面に目配りをしたバランスのとれた演説であった。

 制裁解除や大使人事の承認など共和党支配の議会の支持は決定的である。また、キューバ政府がどの程度、反政府的な市民社会の活動を認めていけるか。体制維持を目指すキューバ政府と関与政策による転換を目指すアメリカ政府の意図の間にはトレードオフの関係がある。ベトナムや中国との関係改善のように異なる体制の共存をキューバとの間に本当に構築できるのか。交渉では、異なる意図の交錯する難しい方程式が2国間関係に止まらず、両国の国内政治と、また米州機構や中南米諸国の国際関係を巻き込む形で展開されることになる。

 着地点は見えないが、歴史の歯車が回り始めたことだけは確かである。

遅野井茂雄
筑波大学大学院教授、人文社会科学研究科長。1952年松本市生れ。東京外国語大学卒。筑波大学大学院修士課程修了後、アジア経済研究所入所。ペルー問題研究所客員研究員、在ペルー日本国大使館1等書記官、アジア経済研究所主任調査研究員、南山大学教授を経て、2003年より現職。専門はラテンアメリカ政治・国際関係。主著に『21世紀ラテンアメリカの左派政権:虚像と実像』(編著)。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板