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鉄鋼・非鉄金属スレッド

591荷主研究者:2009/05/13(水) 23:54:49
>>491
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/86730
「三井鉱山」120年に幕 1日社名変更 関係者「寂しい」 「時代の流れ」と受け止めも
2009年4月1日 09:37 西日本新聞

三井の名が削られる鉱山ビルのプレート=31日午後1時すぎ、大牟田市小浜町

降ろされた三井鉱山の社旗を持って記念撮影する物流カンパニーの社員=31日、大牟田市新港町 三井鉱山の社名が31日限りで終わった。国から三池炭鉱の払い下げを受け、石炭採掘を始めてから120年。炭鉱はすでに12年前に閉山したが、日本のエネルギー産業を支えた企業の名前が消えることに、地元大牟田市の関係者は「寂しい」と惜しむ一方、「時代の流れ」と冷静に受け止めた。1日、日本コークス工業として再出発する。

 炭鉱関連のOBは一様に寂しさを口にした。三川鉱炭じん爆発事故で救助に従事したこともある奥薗誠一さん(70)は「名前までなくなると聞いてショックだった」と残念がる。三池港が勤務先だった井上智さん(69)は「残された港を活用して、大牟田の経済を活性化してほしい」と話す。

 閉山12年目の3月30日に三川地区公民館でドキュメンタリー映画「三池終わらない炭鉱の物語」の上映会を開いた熊谷博子監督(57)は「歴史が消されるような気持ち」。大牟田市出身の作家西村健さん(43)は「三井の中でも(爆発事故や労働争議など)負の遺産という扱いで名前が捨てられたのか」と納得できない様子だった。

 大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブの中野浩志理事長(38)は「炭鉱がまた1つ歴史になっていく感じがする」と語り、「炭鉱遺産が三井の持ち物から市民のものになっていくきっかけにしてほしい」と願う。

 古賀道雄市長は「閉山で歴史的使命は終えており、時代の流れだ」、大牟田商工会議所も「コメントはない」と淡々。三池炭鉱労働組合の最後の組合長で、三川鉱炭じん爆発によるCO中毒患者救済を続ける芳川勝さん(65)は「10年以上会社との接触はない。もはや感慨はない」と冷静に受け止めた。

■社旗囲み記念撮影も 三井鉱山関連の事務所

 社名を日本コークス工業に変更する三井鉱山は31日、大牟田市内にある関連の事務所で看板などを取り換えた。従業員は降ろした社旗を囲んで記念撮影するなど名残惜しそうだった。

 三池港の荷役などを受け持つ三池港物流カンパニーでは同日夕、田中充カンパニー長(51)が「市民に親しまれ、社員の誇りだった社名はなくなるが、先輩たちの歴史を受け継いで新たな時代に船出しよう」とあいさつ。おなじみの「丸に井げた三」の社旗が降ろされ、約40人の社員が感無量の表情で見守った。

 不動産管理などを行っている三井鉱山九州事務所では、入居するビルの玄関に掲げられた「三井鉱山ビルディング」のプレートから三井を削った。社員は「建物に鉱山という名前が残ったのは救い」と話していた。

    ×      ×

■三井鉱山の歴史

1889年 三井組が三池炭鉱の払い下げを受け、三池炭砿社設置

  92年 三井鉱山合資会社設立、翌年三井鉱山合名会社に
1908年 三池港開港、三井港倶楽部完成

  11年 三井鉱山株式会社設立

  59年 三池争議(60年まで)

  63年 三川鉱炭じん爆発事故

  97年 三池炭鉱閉山
2003年 産業再生機構管理下に(06年まで)

  09年 日本コークス工業に社名変更

=2009/04/01付 西日本新聞朝刊=


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